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広報紙『シーズレター』

シーズネットワークでは、広報紙『シーズレター』を年4回、発行しています。身近で見つけた魅力的な女性たちへのインタビュー記事「働き方 私流」、テーマを設けてアクティブメンバーや一般の方からお寄せいただいたコメントを掲載する特集記事の他、活動の報告、イベントのお知らせなどが満載されています。


働き方 私流 back number
vol.45 2017.6.20発行

時間と手間をかけた「豊かな食事の時間」がもたらす幸せ

新倉農園 商品企画
新倉 弘子さん

佐賀県唐津市生まれ。日本女子大学家政学部理Ⅰ学科数学専攻卒業後、大手銀行に就職。結婚、出産後も銀行勤務を続け、2015年退職。現在は夫の経営する新倉農園で商品企画や事務、農作業などに携わる。夫、一人息子ともに多摩市在住。


多摩市内にいちご狩りができる農園がある。その農園の奥様がつい最近まで銀行員として都心でお勤めしていた、とは想像しにくい。聞いてみれば、勤続29年のキャリアウーマンだったとのこと。いちごのビニールハウスやブルーベリー畑がひろがる農園で新倉さんにお話を伺った。
 新倉さんの父は教師。母は市役所職員で、その頃地方ではまだ少なかった職業婦人だった。大学進学は必然的に実家を出ることになる田舎。働く女性のモデルが少ない中、考えた大学選択の理由は、「数学の教師になるため」だった。大学では家政学と数学を学び、教授の紹介で銀行へ就職。システムエンジニアとして猛烈に働いていた。不動産業を営んでいた今の夫とは、親の薦めで参加した集まりで出会ったのがきっかけで結婚へ。その後農業を始める彼と、銀行勤めの新倉さんは共働きで子育てをしてきた。だが、朝早く家を出て、お鍋に夕食を作り置いていく生活は、一人息子と接する時間がとても少ない。高校を卒業したら息子と過ごす時間がなくなってしまう・・・。「子育てに満足」していなかった自分に気づき、次第に「どこかで仕事にピリオドを打たなければ」と考えるようになった。仕事への不満はなく、任される仕事は切れ目なく続き、辞めるきっかけはない。だが、次の仕事を任される前に上司に辞める意向を伝え、最後に担当したプロジェクトを終えたところで退職した。そのとき息子は高校2年生。
 仕事を辞めても息子のお弁当作りはあるので早起きは変わらない。だが初めてNHKの朝の連続ドラマを見る時間が持てた。平日に魚を焼いたり、ゆったりと晩酌しながら夕食をとったりすることができるようになった。決して食材が高価になったわけではない。時間と手間をかけた食事で、家族との時間の過ごし方は格段に豊かになった。家族一緒に夕食の時間を過ごすことができて幸せだという。
 新倉農園では「サポート付体験農園」を運営しているので、彼女は野菜作りを学ぶことを目的に、利用者さんと一緒に野菜作りにいそしんでいる。自分で作った野菜を使った料理で食事中の会話が広がり、食事の時間の過ごし方はさらに豊かになったそうだ。息子と会話する時間も格段に増え、家に母親がいるという安心感を与えられている。
 銀行退職後は、新倉農園のスタッフとして、いちごの苗植え、苗の手入れ、販売、予約電話の受付などを行っている。苗の手入れでは、ハウス内の苗の成長のすごさに驚いた。どんどん出てくる新芽の、どの芽を生かし、どの芽を摘むかの判断がいるし、勢いのある新芽を摘むのは引っ張る力も必要だ。販売では主に会計を担当。真っ赤ないちごを摘んで笑顔いっぱいのお客様と接すると疲れも吹き飛び、元気になれる。とてもやりがいのある仕事だと感じている。2月から開始したいちご狩り予約の電話受付では、1日2時間の受付時間に約100件の電話を受けた。話し中でつながらなかった申込みの電話が夫の携帯に数千件も自動転送されたほどだというから、まるで人気歌手のコンサートチケット予約のような状況だ。いちご狩りのお客様を迎えるシーズンは終わったが、まだハウス内の片付け作業があり、夏にはブルーベリーの摘み取り作業もある。
 新倉農園では、「新倉さんちのいちご」というジャムが期間限定で販売されているが、この商品企画は彼女が行ったものだ。元々、新倉農園のいちごを使ってジャムを開発するプロジェクトは夫が中心となって進めていたのだが、彼女が家族用に作っていたシンプルないちごジャムを食べてもらったところ、香り高く好評で、そのレシピが商品化された。
 今後は?と尋ねると「プレミアム感のある新商品を作ってみたい」とのこと。「ホントはパッケージやラベルデザインにも凝りたいんだけど、夫がコスト面には厳しいのよ」と、何かを企むような笑顔を見せた。



  新倉農園(多摩市落川) http://www.niikuranoen.com

ブルーベリー摘み取りは7月下旬~
申し込み・お問い合わせはお電話で
Tel 080-1173-1346

vol.44 2017.4.1発行

ぬいぐるみづくりで人の心に寄り添っていきたい

ぬいぐるみクリエイター
辻元 真貴子さん

大阪生まれ。大阪芸術大学芸術学部建築学科卒業後、住宅会社勤務。結婚後、東京の設計事務所で内装デザインなどの仕事に携わる。2005年「夢創舎」開業。ぬいぐるみなどの創作やワークショップを行う。二級建築士。夫と娘とともに多摩市在住。


多摩市の永山エリアを盛り上げるために生まれたどんぐりの木の精「永どん」のマスコット制作を請け負っているのが辻元さん。平面のイラストを元に立体の「永どん」を一つひとつ手づくりしている。もちろん、オリジナルデザインのぬいぐるみも多数生み出していて、そのゆるゆると暖かな雰囲気をかもしだす作品にはファンも多い。
 そんな辻元さん、意外にも小中学生の頃は家庭科が苦手。ぬいぐるみ好きでもなかった。だが絵を描いたり、ものを作ったりすることは好きで、得意科目は図工。授業で作った作品では賞なども取ったという。高校生になり大学進学を考えた時に、祖母は助産師、父は医療機器メーカーで働いていたことから、医療系の仕事に興味があったのだが、ふと工作やものづくりが好きだったことを思い出す。高校では美術の授業をとっていなかったにも関わらず、短期間の受験準備で大阪芸大に合格。建築学科を卒業後は住宅会社や設計事務所でデザインなどの仕事に携わる。結婚後も仕事をしながら一級建築士の資格取得を目指して残業した後に学校へ通い、さらに主婦として家事も。ハードワークに体調を崩し救急搬送されたこともあったほどだという。
 そんな日常のなか、結婚後数年たっても妊娠しない。27歳で第1子を、という自分なりの人生設計もあったので、20代後半には不妊治療を始める。体外受精も含む治療を続ける中で、平行して一生の仕事にできる「なにか」をやりたいと模索した。将来、子どもがいても、いなくても「自分に残るなにかをしたい」、「生み出すものを持ちながら長く働き続けたい」という思いがあった。母親や叔父たちなど、それぞれ事業を興している親戚がいたこともあり、自分で仕事を興すことは身近だった。そんな中でファッションの中でもデザインとして目立つ「バッグ」の制作を始める。デザインフェスタやイベントに出展するなどしながら、「人と違うものを作らないと」と、羊毛でマスコットを作ってみたところ、「立体」ものを作ることに面白さを見出す。「裁縫」ではない「造形」としてのぬいぐるみづくりにはまった。そこからぬいぐるみ制作などの依頼が増え、作品は都内百貨店やパリ(仏)での販売にも声がかかるようになった。
 現在は「永どん」のマスコット制作のほか、ぬいぐるみ制作ワークショップを自宅などで開催している。ぬいぐるみや布小物を作る作業をだれかと一緒にすることは、癒しの効果もあるようで、その目的で通っている方もいるという。
 結婚して仕事と家の往復だった頃、多摩に家も建てたが、地域との接点は希薄で、「子どもがいないとつながれないんだな~」と思っていた。が、今は、ぬいぐるみづくりで地域とつながっている。でも、作ったぬいぐるみを売るだけなのは自分には似合わない。妊婦さんから母親、子どもから年配者まで多様な人を、ぬいぐるみをコミュニケーションツールにして癒していければ…。それは、医療に関わりたいという、かつて自分がやりたかった、もう一つのことにつながっている。
 30代で長女を授かったが、子どもを授かることも、子どもを育てることも、自分の努力ではどうしようもないことがある。そんな課題を突き付けられ、それまでの「怒らない穏やかな自分」が変わっていった。愚痴ったり、怒ったりしていい、と思えるようになり、同じ経験をしている人に話して気楽になれた。自分の中に留めていた感情を、なりふりかまわず吐き出すことも悪いことではないと。
 これからは我が子の育ちや生活、一緒に過ごす時間を大切にしながら、ぬいぐるみづくりを通して自分が楽しく、人も楽しい空間を提供したい、という。ぬいぐるみが人や地域とつながるツールになるって面白い。



  夢創舎(むそうしゃ) http://musosha.com

ぬいぐるみ制作ワークショップ等のお問い合わせは下記アドレスまで  makiko.nuigurumi@gmail.com
(左)ミニ永どんマスコット大集合!
(右)オリジナル作品

vol.43 2017.1.1発行

「自分のお店を持つ」というチャレンジ。創業できたのは、地域に仲間がいたから

Cafe Bloom(カフェ ブルーム) 店長
松丸 晴美 さん

八王子市出身。東洋大学短期大学観光学科を卒業後、電機メーカー勤務。30歳からフラワーアレンジメントの勉強を始める。退職後、フラワーアレンジメント講師などフリーの仕事や園芸関係通販会社勤務を経た後、2014年12月「Cafe Bloom」をオープン。2016年3月に弁当事業を開始。公益社団法人日本フラワーデザイナー協会講師。夫とともに多摩市在住。


Cafe Bloomの日替わりデラックス弁当は十六穀米ご飯に7種類のおかずが入って500円。時々ミニデザートもついている。配達してくれるので、仕事中のランチの強い味方だ。そんなお弁当を作っているのが松丸さん。多摩センター駅近くにカフェをオープンしたが、2016年3月にスタートした弁当事業も好評だ。
 松丸さんは生まれも育ちも八王子市小比企町。専業農家の祖父と兼業農家の父の元、子どもの頃から畑を手伝い、新鮮な野菜で育った。カフェをオープンした当初はメニューに実家で作った野菜を取り入れるなどして、父親に喜ばれたという。
 高校生の頃の夢が旅行会社に勤務することだったため、短大の観光学科へ進学。だが、学ぶうちに志望が変わり、電機メーカーに就職した。30歳の頃、フラワーアレンジメントの勉強を始め、講師資格を取得。働きながら休日にはフラワーアレンジメント講師、ブライダルブーケや押し花作成などをしていたが、フラワーアレンジメントを本業に活動しようと34歳で会社を退職。園芸の方面も学びたいと、園芸の通販会社にも勤務し、働きながら園芸に関することも身につけた。
 2012年9月、多摩市で開催された食に関するセミナーに参加したとき、市内でカフェを経営する女性と出会った。話を聞くうちに「私もカフェをやりたい、私にもできる!」と直感。翌10月から早速、多摩市の創業支援施設「ビジネススクエア多摩」の「志創業塾」全6回に参加した。事業計画作成などの宿題が、仕事をしながらの身には大変だったが、ここで「創業」の気持ちが固まる。松丸さんにとってビジネススクエア多摩の存在は非常に心強く、創業を目指す仲間もできた。受講の最後には、講座運営をしていた担当者から「今度、自分も市内にカフェをオープンするから、うちで修業しないか」と誘われ、翌年には園芸の通販会社を退職。一気に「創業」の道へ突き進んだ。数か月間、カフェ営業を体験し、店舗物件も多摩センターに見つけた。開業資金は自分の貯金と信用金庫からの融資。借金は自分にとって大きなチャレンジだったが、返済していくことが将来の信用につながると前向きにとらえている。
 そして、2014年12月にカフェをオープン。だが、1年もたつと「お客様との出会いを大切にしたアットホームなカフェ」の理想に、利益が伴わない厳しい現実に突き当たる。このままでは店を維持できなくなる。日々の忙しさと心労で心身ともに参ってしまいそうなときに、弁当事業を手広く行っている企業から弁当の宅配の提案を受けた。「これは収益の柱になる」と思い、手がけることを決心。弁当事業を始めたおかげで次第に経営は安定し、現在は予約制でカフェ営業も行っている。
 今後は弁当事業を大事にしつつ、カフェスペースを活かして、お茶を楽しみながらのフラワーアレンジメント教室の開催など、自分のやりたかったお花も再開したいとのこと。自分もお客様も、ゆったりした時間をこの場所で持つことができたら…。「でも自分だけでできることには限界があって。だから、地域の仲間と一緒に、お客様目線のアイディアなどもやってみたいんです」と話す。さまざまな局面でチャレンジをしてきた松丸さん。これからの彼女のチャレンジも楽しみにしたい。


      Cafe Bloom(カフェ ブルーム)

多摩市豊ヶ丘1-60-17-101
多摩市内弁当配達のご注文は 042-400-7559 まで

vol.42 2016.10.1発行

仕事・地域・子育てのバランスは三等分!

イラストレーター
長池 麻世 さん

三鷹市出身。東洋美術学校グラフィックデザイン科を卒業後、サイン会社のデザイン室やデザイン事務所でグラフィックデザイナーとして働く。そのかたわらイラストの仕事も始め、出産後はフリーのイラストレーターとなる。2015年保育士資格取得。夫と1男2女、犬1匹とともに多摩市在住。


今年、シーズネットワークと永山公民館共催の市民企画講座告知チラシをデザインしてくれたのが長池さん。中学1年生の長女が小さかった頃にシーズのアクティブメンバーとなり、これまでも、子育てひろばのチラシなど数々のデザインを担当する他、ビーンズプロジェクトで活動したり、イベントの運営スタッフをしたり、とお付き合いは長い。
 長池さんの市民活動は他にもあり、多摩市で活動している子育てママの合唱サークル「Siren(セイレーン)」は、友人に「歌を歌っていれば子育てもきっと楽しいよ」と誘われて11年続けているという。そして合唱サークルのメンバーから教えてもらったのがシーズネットワーク。「子育てを楽しみながら」イラストレーターとして「自分らしく働く」を実践しているメンバーさんなのだ。
 小さな頃は教科書の端にいたずら描きをするような、イラストを描くのが好きな子どもだった。ただ、図工や美術で目立った功績は無く、デッサンも苦手。働く技術を早く身につけたいという理由で美術の専門学校に入り、デッサンやデザインの基本を専門学校で初めて学んだのだという。卒業後はシルクスクリーン印刷のサイン会社などでグラフィックデザイナーとして働く。出産を機に会社を退職し、フリーのイラストレーターに。産前産後もほぼ休まず仕事をし、その後も子育てしながらずっと続けてきた。「子どもを保育園に入れたらもっと仕事ができるんじゃない?」と周囲から言われることもあったが、3人の子どもたちを保育園には預けなかった。子どもを他の人に預けるのが「もったいない」と思えるくらい子育てが楽しかったから、だと笑う。
 東日本大震災の後、景気の影響でイラストの仕事が少し減った時期があった。イラストだけでなく、他の仕事もしてみたい、働くなら有資格者として求められる仕事をしたい、との思いと、ママ友達が保育園で働く姿を見て「こういう仕事いいな」と触発され、一念発起。通信教育を受けながら保育士の国家試験にチャレンジした。ちょうどその頃、シーズネットワーク・永山公民館共催の市民企画講座で「ドリームマップ」を体験する講座の運営に携わる。自らの夢として描いたことは「保育士になる」「犬を飼う」。そのどちらもの夢が今、かなっている。目標や夢をビジュアル化した効果を感じているという。
 今年はイラストの仕事も続けながら、保育士として近所の幼稚園で短時間働いている。保育士資格を取って働く夢はかなえたが、新人として保育現場の難しさも実感し、これからの目標が定まらずにいる今日この頃。9月からスタッフとしてかかわっているシーズの市民企画講座「“私らしいキャリア”を手に入れる~キャリアカウンセリングワークショップ~」で、次の「なにか」が見つかるといいな、と期待しているところだという。
 彼女の中で「仕事」「地域」「子育て」は、どれも欠かせない人生の要素。ちょうど三等分が自分にとってのグットバランスなのだそう。子育てだけでなく、自分の仕事があること、その仕事(イラストや保育)が地域で役立っている様子が感じられることが大事なのだ。「“人”と“タイミング”に恵まれて、長く続けてきたことで今がある」と言う長池さん。TAMA女性センターの情報誌「たまの女性」の表紙を飾るなど、地域で彼女のイラストを目にすることも多くなっている。今後もゆるやかに、自分自身のバランスで仕事と地域、子育てを楽しんでいくのだろう。

    所属する合唱サークル「Siren」のコンサート
告知チラシデザインも毎年担当

「Siren」ブログ

http://siren.noblog.net/

vol.41 2016.6.20発行

自分の経験(キャリア)を大事にすることが次の一歩につながる

キャリアコンサルタント
飯泉 千雪 さん

国立市出身。大学卒業後、民間企業に就職。2009年キャリアコンサルタント資格(CDA)、メンタルヘルスマネジメント検定Ⅱ種を取得。2013年NPO法人日本キャリア開発協会の職員に転職。2016年キャリアコンサルタントとして独立。夫と娘、息子とともに多摩市在住。


働き方が多様化し、キャリアコンサルティングの社会的ニーズが高まる中、今年の4月に国家資格となった「キャリアコンサルタント」は、今後ますます活躍の場が広がる職業だろう。しかし、その活躍の場は、主に企業や教育機関、ハローワークなどの公的職業紹介機関や人材派遣会社などであり、そういったところに所属しているか、就職・転職活動をしない限りは、なかなかキャリアコンサルティングを受ける機会に巡り合えないというのが現実だ。飯泉さんは、地域に「自分らしさとは何か」「キャリアとは何か」をそれぞれの経験を通じて考える機会を作りたいと思い、フリーのキャリアコンサルタントとして独立することを決めた。ふんわりしたイメージと柔らかい物腰からは想像しがたい決断力。お話を聞いてみると、七転び八起きのガッツの持ち主だった。
 都立高校から国立大学へ進んだが、今思えば自分で進路を決められず、親のために大学を選んでしまっていたと苦笑する。両親は大学教授で、特にお父様は養護教諭指導の専門家。そんな教育家の環境を飛び出し、情報処理系の民間企業で事務職として経営企画等の仕事に就いた。結婚し妊娠するが、つわりがひどく仕事を続けることができなくなり退職。ところが、同じ時期に夫も病気で休職と復職をくり返した。飯泉さんは家計を支えるため、再就職し総務事務職に。その後転職し、営業事務職として働いた。2009年、勤めながら病と向き合う夫のために役立てばと、キャリアコンサルタント資格やメンタルヘルスマネジメント検定Ⅱ種を取得したところ、当時勤務していた会社で産業保健スタッフを兼務することになる。残業の多いストレスフルな職場で、労務管理や面談等を担当していくうちに、働くことと健康についてますます興味を持つように。同時に「自分らしく生きたい」という思いが次第に強くなっていった。そんな時、キャリアコンサルタントの会員組織であるNPO法人が職員募集をしているのを見つけ、「これだ!」とすぐに転職を決意。キャリアカウンセリングトレーニングの研修運営をしながら、自身も研修を受けて学びを深めた。今回、法人を退職してフリーになる決意をしたのには、いくつか理由がある。ひとつは地震。自宅から遠い都心で終日働くことへの不安が強くなって退職を決めたが、その直後に熊本地震が起きた。そしてもうひとつは、夫の病状が回復したこと。学びながら夫を支えた日々を、今は誇りをもって振り返ることができるという。フリーになることで、今後さらにキャリアコンサルティングを深く学ぶための時間をとりたいとも思っている。
 「自分のこれまでの過去の経験を振り返ってみると、全てに意味があって今につながっていた」と言う飯泉さん。家族のためにと取得した資格や、生活のためにと頑張った仕事の経験には深い意味があったと気づいた。またかつては反発した両親の、教育者として学び、教える姿を見て育ったことが、今になって自分がしようとしていることとつながっていると思うようになった。
 キャリアカウンセリングは、過去の経験を通じて「自分らしさ」を考える「自己理解」の場。飯泉さんは、自分がこれまで得てきた経験や学びを、キャリアカウンセリングを受ける機会がない人々に伝えたいと考えている。自分らしい生き方に迷ったときに飛び込める保健室の先生のような、身近な存在のキャリアカウンセラーになってくれることを期待したい。


    キャリアブーケ~Career Bouquet~
www.facebook.com/careerbouquet

vol.40 2016.3.25発行

「多摩センター」を住み続けたくなる街にするために

たまこ部 (写真右から)

 秋好 宏子 さん

 片山 明菜 さん

 永山 なみ子 さん

 岡 佐與子 さん 


「ベネッセスタードームを貸切で楽しもう〜乳幼児連れでプラネタリウム〜」「親子でごみ拾いin多摩センター」。なんだか気になる親子参加イベントを、多摩センターで次々に繰り広げている子育て中のママたちがいる! そんな「たまこ部」の4人はどんな人たち? 会ってみたら、自分たちの住む街の、今とこれからを熱く語るかっこいいママたちでした。
 0歳から1歳の子どもをもつ彼女たちが出会ったのは、保育園が主催した保育付きの講座。講座アフターグループとしての集まりがあった帰り道、秋好さんが永山さんに「ねえ、発信とかやりたくない?」と声をかけた。たまたま帰りが一緒だったからではない。一緒にやれる仲間を探していたこと、永山さんのfacebookでの発言に「同じ思いの人がいる」と感じていたからこその声かけである。さらに「一緒にやろう!」と意気投合した片山さん、岡さんとともに「たまこ部」を結成。驚くべきはそのスピード感。2015年11月に声をかけてから、12月末には「多摩センターブログ」をスタートした。
 多摩センター子育てカレンダーや多摩センター周辺のグルメ、イベント、まちづくり情報を2日に1回以上のペースで発信。聞けば、4人が曜日を担当して各自週1回ペースで情報をアップしているとか。毎月のイベントもサクサクと運営している様子。そんな彼女たちの経歴を聞いてみた。
 秋好さんは、4月から保育園の一時保育を利用しながら週に数日程度、Web系の仕事に就く。前職はプラスチック加工メーカーで商品パッケージを作っていたとか。
 片山さんは、農業高校の教員やNPO法人職員を経て、出産を機に仕事を退職。子どもとの畑作業や教育関係に興味があり、新たに何か始めてみたいとのこと。
 永山さんは0歳児の認可保育園入園が決まり、育休を終えてWeb・出版・メディア系の会社に復職。しばらくは時短勤務で、経営企画やマーケティング部門に配属予定。たまこ部の活動は夜や土日を使って続けるつもりだ。
 岡さんは1歳児の入園先を認証保育所に決めた。夫婦フルタイム勤務でも認可保育園は不承認。食品スーパー会社に復職したら、仕事を通して良い商品や情報を提供することで地域に関われるかな、と期待している。
 仕事も違えば、興味の対象も違う4人。だが、たまこ部をここまで動かしているのは「自分たちが住む多摩センターを盛り上げたい。住みたい街ランキング1位にしたい。未来のために子育て世代を呼び込みたい」との思い。だからこそ、「地域のイベントがあっても情報発信がヘタだよね」「空き店舗が多い」「いい物件が他市にあったら住み替えちゃおうかなって迷いが生じるようじゃね」など、辛辣な意見も飛び交う。行政や企業へも子育て世代の声を届けたいという。今後の多摩センターの盛り上がりが楽しみだ。

    多摩センターブログbyたまこ部
http://tamacenter-mama.blog.jp/

vol.38 2015.9.20発行

異世代が自然につながり、交流できる街に

NPO法人エンツリー 理事長
吉田 恭子 さん 

東京都中央区出身。大学で国文学を学び、卒業後結婚。2004年有限会社サンカント設立。2006年エンツリー代表。2008年よりNPO法人エンツリー理事長。楽しも!堀之内実行委員会会長。2級FP技能士。八王子市在住。


地域の方が、お弁当を手にふらりと立ち寄り、コーヒーを飲みながら談笑するカフェスペース。その奥のレンタルスペースでは、ヨガなどの運動や音楽、さまざまな講座が開催され、手軽にカルチャーを楽しむ。そんなことができるコミュニティスペース「CUORE・堀之内」を運営している団体の理事長吉田さん。テキパキとコーヒーを提供しながら地域の方とおしゃべりを楽しむ姿は、さながらカフェの店主のようだ。
 大学で国文学を学んだのは作家になりたかったから。卒業後結婚し、専業主婦となるが、なかなか子どもを授からず、第1子出産までに8年、第2子出産までにさらに6年かかった。早く子どもを産んで手が離れたらなにかしたいと思っていたが、人生は思い通りにならないことを実感させられた。その経験があったからこそ、今の自分があると微笑む。下の子が中学生になるまでは「お母さんをやろう」と思っていたが、そのころには自分は50歳になってしまう、と焦りを感じて、ファイナンシャルプランナーの資格を取得。知らなければ損をするお金の知識などを学んだ。そんな時、実姉にまだ世間では先駆けだったネットショップをやろうと持ちかけられた。だが個人との取引では問屋に相手にもしてもらえない。「会社をつくろう」と、有限会社サンカントを設立した。会社経営の人脈づくりになるかなと思って参加した「女性のためのキャリアアップコーディネーター養成講座」で、修了生が自分たちの学びを社会に還元する活動を目指すために結成されたのがエンツリー。現在は「八王子市親子つどいの広場堀之内CacheCache(カシュカシュ)」の運営受託、「心に効くサプリ!現役ママが思わず笑顔になるココロのトレーニング」や「創業塾」など女性の学びを支援する講座の企画運営など活動が広がっている。
 吉田さんが多摩地域で女性向けの講座をやってきて感じたのは、女性たちの自己肯定感の低さ。もっと自分を肯定してあげてもいいのに、それができないのはなぜ、と考えたとき「自分で現金収入を得てないこと」もその理由のひとつになっているのではないかと感じた。だからこそ、女性が元気に生きられるための事業を展開している。創業塾やコミュニティスペースなどで女性の創業や、やりたいことを応援するのはもちろんだが、親子つどいの広場を利用する父親を中心とした「Cache Papa(カシュパパ)」や、地域密着の活動を応援するインターネット配信番組「GAYA.TV~まったり堀之内~」(毎月第4土曜日17時Ustreamにて)では、男性や地域の人々も元気にしている。女性を元気にするためには男性や地域も巻き込むことが大切だからだ。
 今、若い世代の中で起こっている問題の根っこには、世代間の伝承がされていないことがあるのでは、という吉田さん。一番やりたいのは、よそのおじちゃん、おばちゃんとのナナメの関係があちらこちらにできる、自然に井戸端会議ができるような街を作ること。すれちがったときに挨拶ができる人がたくさんいる街が広がっていきそうだ。


    コミュニティスペース「CUORE・堀之内」
http://www.cuore-horinouchi.jp/npo-en-tree/

vol.3 2015.6.20発行

「永どん」を応援することで地域に仕事を作り出す

永どんサポーターズクラブ会長
加藤 岳洋 さん

山梨県甲斐市出身。有限会社オフィスベビー代表取締役。2012年「多摩・永山タウン」facebook、Twitterを開始。2014年7月「永どんサポーターズクラブ」を設立し、会長に。妻、3人の小学生の子どもたち(双子の長男長女と次男)とともに、多摩市諏訪在住。


昨年秋ごろから、多摩市内のイベントに出没している「永どん」というキャラクターがいる。「台車」に乗って移動する、のほほ~んとした画像がツイッターなどで話題になっているのだが、いつもその台車を押している後ろ姿の男性は…何もの?
 永どんサポーターズクラブ会長の加藤さんは、子どもの幼稚園つながりで家族ぐるみの付き合いが始まった内堀さんとともに、「永どん」を誕生させた「生みの親」である。飲み友達となった二人は、仕事の将来への不安なども語り合うようになり、自分たちの暮らす地域で仕事を作っていけるといいな、という思いで意気投合。また、テレビや雑誌で多摩市が紹介されても多摩センターや聖蹟桜ヶ丘ばかりで、永山は取り上げられないことを残念に思っていた。それなら、自分たちの住む街「永山」のために何かやってみよう、ということに。まず始めたのは、「多摩・永山タウン」というSNSを利用した多摩・永山の紹介だった。2013年、そのSNS上に「永山エリアを盛り上げるために生まれたどんぐりの木の精・永どん」が登場。2014年秋、それまでイラストだった「永どん」は、地元企業の支援も得て、本物の「永どん」になり、永山フェスティバルに初登場した。
 実は加藤さんの本業は、映像制作等を行う会社の経営者。ディレクション、撮影、編集と、なんでもこなしているそうだ。大学生の頃、山梨から東京へ映画を観るために毎月のように上京。卒業後も、アルバイトをしながら、映像制作、自主上映会などを開催していた。映画制作ワークショップで出会った奥様とは25歳で結婚。その後、会社を設立し、現在に至るという。加藤さんの理想は、会社の仕事、地域の仕事、これから生み出したい何かの仕事をしながら、それぞれでバランスよく収入を得ること。
 「永どん」を通じた地域活性化により、たくさんの人や団体、企業とのネットワークが広がり始めている。サポーターズクラブのメンバーが勤める宅配弁当店では、「7のつく日は永どんの日」として、この日の売上の一部を地域のNPOに寄付している。また、すでに何種類かが誕生している「永どん」キャラクターグッズは、今後、地元の団体や企業とも協力しながら商品数を増やしていこうと考えている。いつかは、地域での雇用や仕事の創出につながれば…という加藤さん。そんなお父さんを、奥さんと子ども達は、つかず、離れず見守ってくれているという。
 「永どん」は、2015年の「ゆるキャラグランプリ」にもエントリーする予定。「永どん」を応援することで、人や街が元気で楽しい!そんな多摩になりそうだ。

    永どんについて、詳しくはこちら
永どんサーポーターズクラブ
http://nagadon.jp/

vol.36 2015.3.25発行

防災も仕事も人生も「楽しく」がモットー

NPO法人シーズネットワーク理事
(赤ちゃんや幼児がいる家庭の防災啓発プロジェクトABo担当)
大沢 利美子さん

宮崎県都城市出身。短大進学のため上京し、食物栄養科卒業。さらに山野美容学校で学び、美容室勤務。結婚のため退職し、4人の子どもを育てる。2000年、Seedsの創立メンバーとなる。2005年より多摩市ファミリー・サポート・センターアドバイザー。シーズネットワーク理事。多摩市在住。


いくつもの仕事や地域活動を掛け持ちする大沢さんは、傍目から見ていても、いつも誰かのために駆け回っている人だ。自称「地域のおせっかいおばちゃん」。多摩市ファミリー・サポート・センターでは、アドバイザーとして子育てをお手伝いしたい人と手伝ってもらいたい人をつなぎ、国営昭和記念公園内の「こもれびの里」では、スタッフとしてボランティアのお手伝いや来園者のご案内や事務仕事など。どちらの職場も楽しく、「尊敬できるすばらしい人たちに恵まれている」から10年以上続けていられるの、と笑う。
もちろんシーズの理事としても、長年幅広く活躍し、2009年からは「赤ちゃんや幼児がいる家庭の防災啓発プロジェクト」を担当。ハンドブックの発行、親子で防災体験ができる講座やワークショップの開催などを地道に続けていた中、2011年3月11日、東日本大震災が発生した。
 その日、大沢さんは2ヵ月前に開催した「イザ!カエルキャラバン」という防災体験プログラムの事例報告会に出席するため神田にいた。地震のために電車が止まり、帰宅困難者に。震源地も地震の規模もわからなかったが、こんな大きな地震の後に火事がおきたら、津波がきたら危険だということが想像できた。少しでも安全な所へと移動開始。人が殺到しないうちに公園でトイレを済ませ、スニーカーと水、食料を購入。公衆電話用の硬貨を調達するために自動販売機を利用した。多摩へ向かって歩く人込みの中では、ベビーカーを押す母親を押しのけるように先へと急ぐ人、危機感なく行動する若者たち…。その状況を見て「防災啓発活動」の重要性を改めて強く感じた。これが、大沢さんにとって「防災」がライフワークになるきっかけだった。
 その後、大沢さんは以前にも増して、防災に関する勉強のためにあちらこちらに出かけるようになり、周囲へも積極的に働きかけるようになった。今では、多摩市内外から講師としてのお呼びもかかる。子どもたちが「防災」を考えるきっかけとなるように、遊びながら「楽しく」防災体験ができるワークショップを、今後も多摩市内の自治会や子ども会、児童館や小学校などで開催していきたい。そして、子どもを守る立場にある親、支援者に向けても講演を行っていきたい。これからも自分の身を自分で守れる子どもや親になってもらえる手助けができたらいいな、と思いながら、今日も「地域のおせっかいおばちゃん」は奔走している。


vol.35 2015.1.1発行

「いつかやりたい」思い続けていれば夢はいつでも始められる

カドカフェ 店主
阿部 恵理子さん

沖縄県生まれ。東京の短大に進学し管理栄養士に。栄養士として数年勤めた後、飲食チェーン店を持つ設計事務所に勤務。そこで設計士だった夫と出会い結婚、1男1女を授かる。2014年2月、イタリアンカフェ「KADO Cafe」オープン。夫とともに八王子市在住。


京王線聖蹟桜ヶ丘駅から徒歩約4分の三叉路にある「KADO Cafe」(カドカフェ)。阿部さんがご家族と一緒に営む店だ。「この年になって、こんなに忙しい毎日を送るなんて思ってもいなかったです」と楽しそうに笑う。店をオープンしたのは、阿部さんが62歳のとき。以前から、外に出て自分の力で何かできればと思っていた夢が叶った。
 結婚を機に仕事を辞め、その後独立した夫の設計会社を手伝いながら、ずっと専業主婦として過ごしてきた。「もともと外に出るのも、人と話すのも大好き。でも外に出られなくなったんです」。阿部さんは子どもが7才と3才だったとき、大病を患う。長時間の手術を受け、3か月間入院。手術後、足が麻痺して動かず車いすで移動する自分に「これからの人生や子育てに、とても不安を感じていました」。しかし入院生活の中で、自分よりも大変な思いをしている人たちと出会い、お互い励ましあったり相談しあったりするうちに、気持ちが少しずつ前向きに。「子どものためにもがんばろうと思いましたね」。
 退院後、いつ病気が再発するかわからない体とつきあいながらの生活が始まった。外で働きたい気持ちはあったが、「また倒れるかも」と外に出る自信がなかった。それならば家の中で家族のためにできることをやろうと、毎日、家族に美味しい食事を作り続けた。「テーブルに乗せきれないくらい料理が出るんです。学校に持っていくお弁当もすごくて、友達からうらやましがられて」と、今はシェフである息子さんも感心するほど。「沖縄の実家の食卓がいつも賑やか。その影響かな」と阿部さん。外に出なくても、栄養士という資格が活かされているとも感じていた。
 60歳を過ぎ夫婦で過ごすことが多くなった。「近所に、おじいさんがのんびりやっているカフェがあって、『夫婦でカフェもいいね』と話していたんです」。そんなある日、2人でウォーキングしながら聖蹟桜ヶ丘駅を目指していたとき、ふと雰囲気の良い賃貸物件が目に留まった。一目ぼれして、その場で不動産屋に連絡。都心でシェフをしていた息子も応援してくれ、カフェオープンの夢が前進した。「当初、息子はオープン時だけの助っ人のつもりだったんです。でも、私たちだけのカフェがあまりに心配だったようで、結局一緒にやってくれることに」。店の内装は設計士である夫がデザイン。インテリアは息子と娘で、食器やメニュー作りは阿部さんと息子で決めた。「家族みんなでやれて本当に幸せ。ここまで生きてきた私へのプレゼントです」と阿部さんは嬉しそうに話す。
 お店は、イメージしていた「のんびりとしたカフェ」とは違い、お客さんでにぎわう毎日。店の前を通る近所の子どもたちともすっかり顔なじみになり、わざわざドアを叩いて挨拶していく子もいる。店に来るママの子育て相談にのることもある。美味しい食事を食べながら、人の成長を見守ったり、おしゃべりを楽しんだり、相談にのったり。そんな人との触れ合いが、自分にエネルギーをくれると話す。今は、イタリアンがメインだが「少しずつ、子どもたちが小さい時に作っていた『おふくろの味』のような料理も出していきたいです」と阿部さん。仕事の帰りや子育ての合間に立ち寄って、ホッとできる店になれば…。阿部さんの夢の構想は、まだまだ膨らんでいる。

    「KADO Cafe」
多摩市一ノ宮2-19-1
TEL:042-389-5704
お知らせはお店のFacebookにて

vol.34 2014.9.20発行

養生学を学んで、笑顔で元気なお母さんに!

漢方養生セラピスト・栄養士
岡田 ルリ子 さん

埼玉県生まれ。東京薬学専門学校卒業。武蔵野栄養専門学校を卒業し、栄養士資格取得。薬局勤務8年。2008年、漢方養生学に出会い、翌年漢方養生セラピストを取得。現在、NPO法人東西予防医学研究所理事。漢方養生学研究会副事務局長。
http://www.tozai-yobo.com/


シーズが岡田さんと出会ったのは、2013年の冬。岡田さんは「子育て総合センターたまっこ」で行われた「子育て支援者養成講座(初級)」を修了し、25年間3人の子どもを育てた多摩市で、「『漢方養生学』を広めることで子育て支援をしていきたい」との熱い思いを胸に、シーズのアクティブメンバーに登録してくれた。その後は、他市で行った市民向け講座の企画運営経験も生かして、子育て中の母親向けに「漢方養生学ミニセミナー」を開催するなど、着実に活動を広げている。
 岡田さんは高校卒業後、薬学専門学校と栄養専門学校を卒業。その後結婚し、子ども3人のお母さんとなる。専業主婦として家庭を切り盛りしていた彼女に、思いがけない転機が訪れた。第3子が3歳の頃、夫がうつ病となり休職。代わりに薬局で栄養相談を行う栄養士として就職することになる。夫の病を通し、薬だけに頼らず、散歩や山登り、食事など、生活スタイルを変えることで回復に向かう事を経験したという。その後、実家の母親のがんが発覚。6年間の過酷な闘病生活。抗がん剤、手術、放射線治療を行うも、命を救えなかった。家族は、大好きなおばあちゃんの死に命の大切さ、儚さを痛感させられた。
 介護、育児、仕事の3役をこなすうち、無理がたたったのだろう。今度は岡田さん自身が甲状腺の病に。家族や自分の闘病生活を経験するうち「薬を飲み続けること」に疑問が生じてしまう。ちょうどその頃、勉強のために参加した漢方セミナーで「漢方養生学」と出会い、これまで感じてきた疑問が解決したのだそうだ。養生学を学び自ら実践したことで、今は元気に生活できているという。
 東洋医学の領域で「養生」とは、「病気にならないように、個々の状態に合わせ、食事や生活習慣を整える健康法」のこと。養生学を活用し、体質に合わせた食事をとることで、自分の子ども達も健康になっていったという。
 そんな経験から、「食材の性質を知り、旬の食材を選ぶ方法を、今、子どもを育てているお母さんたちに伝えたい、笑顔で元気な子ども達の未来に貢献したい」と使命感にあふれている岡田さん。
 そこまで思うのは、がんで亡くなった母親の生き方が大きく影響しているという。闘病中も感謝しながら笑顔でいられる母親の「強さ」を見た。そんな祖母を見て育った岡田さんの子ども達は、明るく、元気、ポジティブに育ち、長女は看護師となるべく勉強中だそうだ。
 子育て中のお母さんを笑顔いっぱいにしてあげたいのは、お母さんが笑顔だと家族、子どもも笑顔になれるから。そして子どもの笑顔が周囲の力になるから。子ども達が健康で明るく育ち、自分の夢を実現できるように、と願っているのだという。この秋、多摩市から生まれ育った埼玉県に転居したが、子育てでお世話になった多摩市で活動したいと、11月にはTAMA女性センターで講座を開催する。笑顔のお母さんが多摩に増えることを願って…。


vol.33 2014.6.20発行

多摩市の「地域子育て力」をサポートします!

多摩市立子育て総合センターたまっこ 子育てひろば事業等
 管理責任者 柴田ゆき さん (認定NPO法人多摩子ども劇場)
 現場責任者 島田良恵 さん (NPO法人シーズネットワーク)

柴田ゆき
大学卒業後、銀行勤務。退職後の1987年、多摩子ども劇場に入会し、1988年より運営委員(現・理事)となる。1995年から2014年2月まで事務局長。

島田良恵
大学卒業後、流通企業勤務。退職後の1995年から育児相談レターカウンセラー。2004年から電話・Web育児相談員。育児関係のムック、雑誌等ライター。2006年よりNPO法人シーズネットワーク副理事長。


「多摩市立子育て総合センターたまっこ」に、ベビーカーや自転車、徒歩で続々と親子が集まる。すべり台や砂場がある緑豊かな園庭。天井が高くゆったりしたスペースの「子育てひろば」には、木の遊具や手作りおもちゃ、絵本等がある。
 今春、この「たまっこ」の子育てひろば事業等を多摩市から受託したのが、多摩子ども劇場とシーズネットワーク。2003年から約8年にわたり、多摩センター地区の商業ビル内で「子育てひろば」を共同運営してきた経験を活かし、再び新しいひろばづくりに取り組む責任者2人に話を聞いた。
 柴田さんは、多摩子ども劇場で「子どもを真ん中に、文化の力で地域をつなぐ」子ども文化地域コーディネーターとして20年以上活動を続けている。今やすっかり、愛すべき「こわいおばちゃん」キャラを確立しているベテランだが、自身の子育て中には様々な不安を抱えていた。核家族&転勤族で、子どもや地域と関わりが薄いまま大人になり、身近に頼れる人のないまま、「ちゃんと」「いい子に」育てなければ、とストレスを溜め、体調も悪かった。ある日、0歳と2歳の子どもたちを連れて自動車教習所に通うバスの中で「子ども劇場に入りませんか?」と誘われた。「親子で劇を見るだけの会じゃない」ところが魅力で即、入会。後日談によると、実は「このお母さん、行き詰まってるな…」と心配になって声を掛けてくれたらしい。それが今では笑い話になるのも、子ども劇場の活動を通して、「子どもは、まわりの人たちや動物や自然に育ててもらうもの」であり、なにより「子ども自ら育つ力を持っている」ということがわかり、気が楽になったから。その経験から、子ども劇場の「子どもも大人もほっとする遊び場づくり」に関わるようになり、今に至る。
 一方の島田さん。自他ともに認める「元気印」の彼女は、2人の娘の子育てに忙しい中でも、手紙や電話、Webによる育児相談などを仕事にしていたが、「直接、ママや子どもたちと触れ合える子育て支援がしたい」と思っていた。3人目を妊娠中の2000年、NPO法人シーズネットワークの前身となる「自分らしい働き方を見つけるネットワークSeeds」を仲間とともに設立。自身の願いを叶え、一時保育や子育てひろば、子育て中のママたちの活動支援などを積極的に行ってきた。シーズの活動として女性の社会参画支援やまちづくりにも携わるが、あくまでも「子育て支援がライフワーク」という信念は揺るがない。
そんな2人の共通の思いとは。
 たまっこにはたくさんの親子が集まって来てくれる。だが、そこが親子の「居場所」となって、そのまま完結することは目指していない。たまっこでアナログな情報(チラシやクチコミで)を得て、自分の家の近くにある子育て支援施設に行ったり、団体の活動に参加したりしてみようと思うこと。そして地域で自分らしく、柔らかく人とつながり、困ったことがあっても、だれかと一緒に自分で解決していこうと思う人が増えること。そのことが結果として多摩市を豊かな街にし、そんな親や大人を見て子どもたちも幸せに育つのではないかと思う、という2人。これからは、たまっこが人と人とのハブ(中継地点)となる「センター」としての役割を果たしていくのだろう。


vol.32 2014.3.20発行

心地よい社会を子ども達にプレゼントしたい

株式会社チャイルド・スマイル 代表取締役
紀乃 のりこ さん 

山梨大学化学生物工学科卒業。上京し、IT企業にシステムエンジニアとして就職。保育士資格取得後、2006年、合同会社「私の心地よさ」設立。2012年株式会社チャイルド・スマイル設立。2013年、小規模保育園「ちいはぐ・仙川」「ちいはぐ・若葉」を開園。2014年4月、「ちいはぐ・十条」、年内に他2園開園予定。育児生活コンサルタント。保育士。夫、息子、娘とともに多摩市在住。


紀乃さんを取材するのはこれが2回目。前回は2009年9月号、今から4年半前に語った夢は「保育園をつくること」だった。当時、合同会社を設立し、ベビーマッサージ教室の開催など、育児生活を支援するさまざまなプログラムを提供しながら、突き進んでいた。その後、株式会社を設立し、小規模保育園を複数開園するなど、「夢を語って実現させる」の見本のような人である。
 今回は、小規模保育園「ちいはぐ・若葉」にお邪魔して、お話をうかがった。保育園内を見学させてもらうと、一般家庭の玄関、リビング、個室等をうまく使って保育が行われていた。お仕事中の保育士さんも遊んでいる子ども達も、突然の訪問者を「こんにちは~」と温かく受け入れてくれる。その空気感も家庭のようである。
 紀乃さんは保育士として、また自分の子育て経験から、「保育園の良さと家庭の良さを生かした小規模な保育園を作りたい」と考え、その実現に向かって着々と行動を起こしてきた。国の雇用促進起業助成金や、グループ保育等の制度を活用できたのは、時期も良かったが、なによりも目指すものをはっきりとさせて動いていたからだ。自ら道を見つけて、そこに必要な情報を引き寄せた力のたまものだろう。実際に保育園をオープンさせるための努力は半端ではない。20カ所以上の自治体に訪問し待機児童解消に向けた企画の提案をし、小規模保育園が運営できる物件を探して100カ所近い物件を見て回るなど、その動きは想像を絶する。
 相変わらず、ニコニコと話しているが、やることはしっかり代表取締役である。4年前と今とで、なにか変ったことはあるかを聞くと、内からも外からも株式会社の代表として見られるようになったことで、自分の発言の重さが変わったという。例えば、いわゆる「キャラクターもの」の好みを聞かれて答えると、それが園のスタッフの行動基準になったりする。最初はそれに驚き、そして戸惑い、どうあるべきかを模索しながら新たな代表としての自分をつくってきたそう。
 現在は経営者として約30人のスタッフを抱え、保育園運営に、人事、経理などバックヤードの整備、新しい保育園の開設準備に大忙し。将来的には保育園「ちいはぐ」を10カ所に増やすのが当面の目標だ。彼女は心地よい社会づくりのひとつのツールが保育園だと話す。「子ども達が安心して生活できる居場所をつくることで、幸せな子どもがそのまま幸せな大人に育ってほしい」そのために学童保育や学校も充実させる必要があると考えている。
 子どもも大人も、くつろいでエネルギーが充填でき、学んで成長する場を持った方が良い、そういう意味での「大人の保育園」もつくりたいともいう。確かに大人にも必要かもしれない。夢を夢のままで終わらせない紀乃さんなら「大人の保育園」の開設もあるなと思った。

株式会社チャイルド・スマイル
http://csmile.co.jp/

vol.31 2014.1.1発行

「大好き」を大事にすると、日々の活力が生まれる!

ドリームマップ普及協会 認定ドリマ先生 
川村 紀子 さん 

世田谷区育ち。カナダにある短大で環境学を学ぶ。化粧品を扱うベンチャー企業に入社。1995年、独立行政法人国際協力機構(JICA)入社。フィリピン赴任や人事部に所属し2012年退社。2013年より、一般社団法人ドリームマップ普及協会の理事となる。長男、長女、夫とともに西東京市在住。


 2013年12月、多摩市立青陵中学校1年生を対象にドリームマップ授業が行われた。生きる力をはぐくむキャリア教育として、授業を担当したのが川村さん達「ドリマ先生」だ。「ドリームマップ」とは、「将来なりたい自分の姿をイメージし、台紙の上に写真や文字で表す、自己実現のための目標達成ツール」。ドリームマップ授業では、6時間かけて「自分の将来」に、じっくりと向き合う。
 シーズネットワークが2月に開催する市民企画講座「エンジョイ! 描こう、私の夢!」の講師でもある川村さんに、なぜドリマ先生になったのかを聞いた。
 きっかけのひとつは、国際協力を希望し入社したJICA職員時代、赴任先のフィリピンから年1回帰国するたびに気になった電車内の日本人の疲れきった瞳。フィリピンの人々は貧しいけどハッピーな瞳をしている。なぜ?自殺者が連続して3万人を超え続けていたこともとても気になった。もしかして、私は日本でやるべきことがあるのかも、と感じていた。そしてもうひとつは2011年3月の東日本大震災だ。激しく揺れるオフィスの机の下にもぐりながら、保育園にいるわが子らの身を案じた。「優先順位が間違っている!大切な者を大切にしろ!」と感じ、子どもとの時間が今すぐ多くとれる仕事をしよう、と決心した。
 人事部で担当していたワークライフバランス推進の仕事に活かそうと2011年に取得したドリームマップ認定講師の資格が縁となり、退職後、一般社団法人ドリームマップ普及協会に本格的に携わるようになった。2011年に小学校に入学した長男の読み聞かせボランティアで自分でも驚くほどわくわくしたことも影響している。JICAで携わった仕事の大半は「人の成長のきっかけづくりの仕事」。何かのきっかけで人が開花するのをそばで見守るのが楽しかった。子どもの頃の将来の夢は「先生」だった。いつまでも人が育つきっかけの場にいる仕事がしたかったのだ。その実現がドリマ先生だった。
 自分の「好き」や「わくわく」することを大事にすると「自分らしさ」につながるのだという。「子どももママも、ダウン症の娘を通じて知り合ってきた障がいのある子ども達も、自分らしさをたっぷり味わおう」。ドリームマップはそれを伝えやすいツールだ。川村さんの今の夢は「障がいのある子どもとその家族が夢を描き、自分らしく生きる支援をすること」。「夢を持つことは人の力、エネルギーになる。夢を持つと今が楽しくなる。夢の実現は、今の‘楽しい’の積み重ねの結果だから」と目をキラキラさせて話す。2月開催の講座で彼女に「何がやりたい?」と聞いてもらえる日が楽しみだ。

一般社団法人 ドリームマップ普及協会
http://www.dream-map.info/index.html

vol.30 2013.9.20発行

子ども達の命を守るためのスキルを伝えたい

赤ちゃん・子どもの救命/応急手当
L.S.F.A.-children's 認定講師
中村 智子 さん 

目黒区で生まれ育つ。短大の秘書科を卒業後、ITサービス会社の秘書室に勤務。結婚を機に退職と夫とともにフランチャイズチェーンオーナーとして店舗経営に従事。2003年ダイビングショップ立ち上げ。2006年次女の呼吸停止の事故を機に、赤ちゃん・子どもに特化した救命/応急手当の講師資格を得て、2007年NPO法人シーボウル海の教室を設立。救命/応急手当プログラム普及活動に従事している。2人の娘、夫とともに目黒区在住。


今年の夏、お休みが無いほど各地を飛び回っていた中村さん。取材した日も静岡で講習し、とんぼ返りで事務所に到着したところで私たちを迎えてくれた。
 はつらつとした笑顔、優しくまっすぐに相手へ向けられる視線、命を救うための知識を語る力強い声、それらは救命/応急手当を学ぶ多くの人たちに「大丈夫」という安心感と自信を与えていると感じた。この秋、シーズネットワークの「赤ちゃんや幼児がいる家庭の防災啓発プロジェクト」で開催するワークショップ3回目の講師もお願いしており、災害時の乳幼児の応急手当を学ぶ予定だ。
 中村さんは、短大の秘書科を卒業後、大手ITサービス会社の秘書室に勤務。主に人をサポートする秘書の仕事は、天職と思えるほど楽しかったと言う。結婚、出産後もここで働く人生を漠然と描いていた。しかし入社5年目に結婚した2歳年上の夫が、新婚旅行先で脱サラ宣言したことで彼女の人生が一転。夫とは高校時代からの付き合い。独立したい気持ちは理解できた。「自分が保守的だから、保守的ではない夫と一緒ならば違う人生があるかもと思った」。案外楽観的なのだと、屈託なく笑う中村さん。
 夫とともに脱サラ後、フランチャイズチェーン店の経営を経て、海の大好きな夫とダイビングショップをオープンさせてから現在に至るまで、生活も出産・育児も二人三脚でやってきた。
 救命/応急手当の普及活動をはじめるきっかけは7年前。生後4か月の次女が呼吸停止した事故だった。RSウイルスによる風邪で咳とたんがひどく、たんによる窒息で呼吸困難から呼吸停止に。救急車を待つ間に中村さんが行った人工呼吸が功を奏して、障害も残らずに命をとりとめた。自分以外に誰もいない状況のなかで必死に対応したが、「あの対応で良かったのか?」とふと疑問に思い乳幼児の救命救急を調べて” L.S.F.A.(Life Supporting First Aid)-children's”にたどり着いた。
 このプログラムと出会ったことで、「もし、あの時の人工呼吸がなければ今の姿はなかったかもしれない。プログラムがあるならばスキルを勉強して、一人でも多くの人に伝えたい」と、認定講師資格の取得に動き出した。資格取得後、救命/応急手当の普及活動は社会福祉としてやりたいと、ダイビングショップとは別にNPO法人を設立。パパやママはもちろん、保育士や幼稚園・小中学校教諭、ベビーシッターなど保育従事者向けの講習を、関東を中心に展開。講習会の依頼は年々増えていて、昨年は約120件の依頼に対応した。希望があれば全国にも出向いている。
 “かわいい子ども達の命を守るために”少し無理をしても講習会の依頼があれば引き受けているので、家庭で過ごす時間が確保できないのが悩みとか。家事や育児は夫や夫の両親が助けてくれるが、やはりわが子達と一緒に過ごす時間が少ないのは寂しいという。そんな忙しい中村さんの今後の目標は、講師依頼に対応できる仲間を増やすこと。活動が広がってきたことにより一人から組織へ。組織作りも経済的な基盤もNPOの悩みどころだが、中村さんらしい突破を期待したい。


講習会の様子

【NPO法人シーボウル海の教室】

http://www.seabowldive.com/npo/


vol.29 2013.6.20発行

できることからやってみよう! そのひとつひとつを積み重ねて

小さな保育ルーム バンビ 室長
山本 紀久子 さん 

父親の転勤に伴い、主に九州地方で育つ。短大の英文科を卒業後、大学事務職員として就職・上京。その後、出産を機に退職。2003年「バンビちゃん広場」運営開始。2013年4月、会員制の「小さな保育ルーム バンビ」オープン。保育士。チャイルドマインダー。八王子市社会福祉協議会サロン事業「バンビちゃん広場」運営代表。一人娘、夫とともに八王子市松が谷在住。

今年4月、八王子市大塚にオープンした「小さな保育ルーム バンビ」。40代の女性が立ち上げた保育室だということで、早速話を聞きに取材に伺った。室長の山本さんは、ふんわりとしたロングヘアが優しげ。ひまわりのような明るさで待ち合わせ場所にやってきた。
 短大卒業後から勤めた事務職員の仕事を、出産を機に退職したのは夫が仕事で忙しく、共働きで子育てとの両立が難しそうだったことと、「子どもは自分で育てなければ」との思い込みから。産後すぐ、八王子市の児童館に電話をかけたところ、当時、児童館に登録できるのは1歳からと聞きショックを受ける。0歳児を連れて通える子育て広場のようなものはなく、行き場がないまま悶々と数か月を過ごした。子どもが一緒にいてもできる仕事はないかと、パソコンを使った自宅での仕事に興味を持つが挫折。そんなある日、新聞の片隅に「在宅チャイルドステイ保育者養成モデル講座」の募集を発見。受講したい気持ちを遠方に住む義母に相談したところ、3歳の娘を預かることを快諾してくれた。義母宅から講習へ通うなどしながら全88時間の受講を修了。義母は子育て中に学びたいことができなかったことを悔やんでおり、人生の方向性を見つけた嫁を応援したかったのだという。
 早速、ファミリーサポートセンター提供会員に登録。由木地区子育てネットワーク(ゆうこネット)という地域の子育て支援関係機関有志の集まりにも参加した。ゆうこネットが運営主体となり、かつて自分が待ち望んでいた0歳児向けの親子の集いの広場が八王子市南大沢保健センター分室でスタート。そこでの保育ボランティア活動がきっかけとなり、翌年、住まいの近くで「バンビちゃん広場」を月1回開催することになった。「自分に何ができるかわからないけれど、できることをやってみよう」と運営代表となってから、今年で10年目を迎える。その間、保育園での一時保育補助やファミリーサポートの仕事の他、保険会社にも勤めたが保険営業の仕事にはやりがいを見出せず、子育て支援の仕事への思いを新たに。保育園でパートをしながら保育士資格を目指した。チャイルドマインダー資格受講中には、開業についても学ぶ。商店街の空き店舗を使った事業計画を作っていくうちに保育室開業のイメージも膨らんでいった。
 「必要なときに必要な時間だけ預けられるスポット的な保育で地域の子育て支援をしたい」そんな思いを周囲に話したところ「山本さんがやるなら応援するよ」という人々がつながり、保育ルームのための空きスペースを借りることができた。保育ルームの運営には現在9名が関わり、30~70代の幅広い年齢層のスタッフによる見守り体制が安心感を与えている。山本さんはこれまでの仕事で貯めたお金を開業準備金や運転資金につぎ込んだ。今は保育ルーム運営を軌道にのせるため仲間と頑張っている。思えば大学職員時代の広報業務や保険営業他、どれをとっても今の仕事に役立っている。無駄な経験なんてないのだと実感。だから失敗を恐れず前に進み続けたいという。
 親の転勤で地方を転々とした思い出をもつ山本さんには「故郷」と呼べる場所がない。だが娘には「ここ『多摩ニュータウン』や『松が谷』が故郷になるのだ」と思ったとき「今、私にできることはないか」と考えてやってきたことが積み重なって、今につながっている。今後も10年間培ってきた地域の子育て支援機関や団体とのつながりを強みに、公的な保育や子育て支援の隙間を埋めていくような事業がしたいという。夢はそのために自由に使える館(スペース)を手に入れること。地域に根差した子育て支援が「小さな保育ルーム」から広がっていきそうだ。



会員募集中  予約受付中


小さな保育ルーム バンビ
(会員制)
一時保育、月極め保育、小学生一時預かり、子育て広場、リフレッシュ企画
保育対象年齢:生後3ヵ月~10歳
場所:八王子市大塚496-5 ささき医院横クリーニング店裏 
お問合せ:090-5825-9463(山本)


vol.28 2013.3.20発行

客観的視点で人と仕事をつなぐ力になりたい

TAMAキャリアデザイン・オフィス 代表
林 とも子さん

東京都出身。大学で史学地理学を学んだ後、マーケティング会社に就職。退職後、派遣で働きながら「厚生労働省指定キャリア・コンサルタント能力評価試験」合格。現在は、CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)として、八王子新卒応援ハローワークに勤務。TAMA女性センターのキャリアデザイン相談員の他、講演、講座講師等、多方面で活躍。一人息子とともに多摩市在住。

ビジネススクエア多摩が主催した「女性のための創業セミナー」(2013/2/2開催)で、キャリアカウンセラーとしてトークセッションに登場した林さん。創業や就業に興味がある女性が多く参加したこのセミナーで、林さんのお話が私らしいワークスタイルや仕事と家庭の両立を考えるきっかけになった方も多かったのではないだろうか。
 誠実そうな佇まいと温かさが感じられる林さんは、豊富な語彙と的確な話し方が印象的。だが子どもの頃はおとなしい性格で、人前で話すような子ではなかったらしい。府中市で育ち、学生生活を送った後、マーケティング会社に就職して採用などを担当した。結婚後、流産が続いたため、3度目の妊娠では医師の勧めにより退職。周囲には育休後、復職する人が多く「妊娠で仕事をやめることは自分が頑張れていない」と劣等感を感じ、葛藤もしたが、退職後、体を休めたおかげで無事出産することができた。今は身体機能、健康、体力全てが「仕事を続けていくための能力」であり、これは個人差と、誰にでも限界があることが理解できたと感じているという。
 出産半年後から子どもを預けて仕事を再開。しばらくして離婚をすることになり、子供を抱えて職業人生をリスタートすることになった。前職で採用を担当していたことから、「労働力」と「会社」をつなぐ仕事に興味があったところに、キャリア・コンサルタントという資格があることを知る。派遣で働きながら週2回学校に通い、試験に一発で合格。そのおかげで、当時システムアシスタントとして派遣就労していた大学のキャリアセンターへの勤務が叶った。アイディンティティの確立期である大学生の進路決定という重い場面に立ち会うことには難しさを感じたが、学生が持つ力や発達課題を洗い出し、企業が求めるフレームとマッチングさせることは、同じ例がひとつもない大切な仕事だと感じる、という。
 「派遣」という仕事の仕方には経済的に限界があると分かっていたので、自分でできる仕事の幅を広げるほうがよいと感じていた。そこで、住んでいた多摩市の「TAMA女性センター」へ、その当時はなかった「キャリアデザイン相談」(※下記参照)の自作のチラシを作って営業に。その結果、不定期開催、半ボランティアでキャリアデザイン相談をスタートすることができた。現在は大学キャリアセンターでの経験を生かしてハローワークで新卒大学生の就職を支援する一方、女性センターの事業として位置づけられた「キャリアデザイン相談」も月1回継続している。
 キャリア・コンサルタントの仕事や自分の経験から感じるのは、雇用情勢が厳しい中、「正社員」にこだわらずに仕事を探すことと、世の中に合わせて自分の考え方を変えられる柔軟性が必要だということ。今は「食べていくために、自分で仕事を探し出し、取りにいく時代」であり、雇用制度に頼らず、自分の生活経済を確保することを考えていかなくてはならないと感じている。
 仕事がおもしろく、自分が貢献できることが見えてきたと話す林さんは、更なるスキルアップのために精神保健福祉士の国家試験の勉強も始めている。今後も社会資源と人をつないで、適切な就労支援ができるような仕事をしたい、と抱負を語ってくれた。仕事について考えたくなったら、一度相談に行ってみてはいかがだろうか。

「女性のための私のキャリアデザイン相談」要予約・相談無料)
相談日時:毎月第3日曜日 14:00~15:45
予約申込み:TAMA女性センター事務室
           Tel 042-355-2110 (月~金曜9:00~17:00 第1・3月曜日・祝日を除く) 


vol.27 2013.1.1発行

「出会い」と「縁」で大好きな街頭紙芝居ができる幸せ

街の紙芝居屋さん「のんきやあやや」
髙橋 綾さん

福島県双葉郡浪江町生まれ。明海大学外国語学部卒業。舞台芸術学院ミュージカル部卒業。2005年より仙台、福島を中心に街頭紙芝居師として活動。大阪・三邑会の街頭紙芝居師養成講座に参加し、上級講座修了。2011年8月よりアンテナショップポンテのスタッフ。夫とともに八王子市在住。

気さくな笑顔が印象的な高橋さんは、シーズネットワークが運営する「多摩市&長野県富士見町共同アンテナショップPonte(ポンテ)」のスタッフとして働いている。2011年に福島から上京後、たまたま買い物に来たグリナード永山で、偶然スタッフ募集の張り紙を見つけた。「こんな店で働くのもいいな」と思いすぐに応募。今は多摩市の野菜や富士見町の特産品の特徴も覚え、接客を楽しんでいる。
 そんな彼女にはもうひとつ、街頭紙芝居師としての顔がある。小さな頃から、絵本とお笑いが大好き。絵本作りや演劇がやりたかったが、進学は堅実に千葉県にある大学で語学を学んだ。だが、やはり演劇がやりたいと舞台芸術関係の専門学校に入学。不慣れなダンスや音楽に四苦八苦しながらミュージカルを学んだ。
 家業である旅館の手伝いのため福島に帰ると、地元の劇団立ち上げにかかわり、役者や自作戯曲の演出などの活動をする。そんな中、仙台のアートフェスティバルで紙芝居をする女性に出会い、自ら声をかける。彼女の紹介で、後に心の師と仰ぐ梅田佳声さんの街頭紙芝居公演を見て、そのおもしろさに目覚めたことが、街頭紙芝居師を目指す直接のきっかけとなった。その後参加した街頭紙芝居のワークショップで作った紙芝居は「さくらんぼ大冒険」。今も演じている演目だ。仙台の大衆紙芝居ネットワークに参加してからは、昭和期の作品、ネットワーク仲間や自分の作った紙芝居を演じた。「近くに住む姪っ子たちに紙芝居を読んだり、一緒に紙芝居を作ったりして遊ぶのがいい練習になった」そうだ。2010年には、地元福島でも活動を始める。小学校やお祭りで子どもたちと触れ合う街頭紙芝居が楽しくて、これからもっと活動を広げたいと思った頃、被災した。震災後は、避難所の子ども達に紙芝居を演じる機会をもった。だが、それが終わったら、憑き物が落ちたように紙芝居をやる気力が失せてしまった。その年の5月には夫婦で東京へ。生活や仕事が落ち着いた頃、「何か自分に楽しみをもたせなくっちゃ」と、パルテノン多摩の「自動演奏機といっしょに!市民コンサート企画」に応募。10月末に多摩中央公園で、子ども達を前に自作を演じる街頭紙芝居が実現した。久しぶりに子ども達に向けて演じる楽しさに、「コミュニケーションツール」としての紙芝居の魅力を改めて感じる。「小さな総合芸術」といわれる、日本独自の文化「紙芝居」をもっとやりたい。
 「震災後、なぜ紙芝居をやる気が失せていたのかわからなかった。だが、それまでは紙芝居を『自分でやっている』と思っていたけど、周りの方々に『やらせてもらって』いたのだと気付いてから、またやる気が戻ってきたような気がする」と彼女は言う。「様々な方との出会いと、そのつながりを信じて進んでいきたい」と決意も新ただ。今年3月には子ども向け紙芝居作りワークショップの講師を初めて務める。子ども達のおもしろい発想に刺激されて、さらに活動が広がる予感がする。

※1/26(土)、27(日)横浜市歴史博物館感謝デーにて街頭紙芝居公演予定


vol.26 2012.9.20発行

生きる基本の「食」を通じて人と心をつなぎたい

株式会社メゾンドマリ 代表取締役
大西 舞里さん

愛知県一宮市生まれ。日本福祉大学社会福祉学部卒業。エコール辻東京西洋料理科卒業。2004年、メゾンドマリ開業。自宅でパンや料理の教室を始める。2009年、パン販売を開始。2010年より都立南大沢学園の製パン講師。2011年にメゾンドマリを法人化し、株式会社とする。夫、3人息子とともに国分寺市在住。
http://www.maison-de-mari.com

今春、シーズネットワークが運営するアンテナショップポンテで、多摩市特産品の日本酒「原峰のいずみ」の酒粕入りパンが販売された。そのパンを納品している事業者がメゾンドマリだ。代表取締役の大西さんは、明るい笑顔と、ほわんとした話し方が魅力的な女性。肩書きを知らなければ、まさに「すてきな奥さん」だ。
 大学では社会福祉学を学ぶ。だが学生時代にホテル等でアルバイトをした経験から食器好きが高じ、就職は有名洋食器メーカーへ。「結婚するが夢だった」という大西さんは、夢をかなえて結婚退職。男の子3人の子育てをしながら、パン教室に通い、家族のためにおいしいパンを作るような専業主婦生活を満喫する。
 だが、20代後半ごろから徐々に「○○くんのママだけではいやだな・・・」と感じ始めていた。「自分の好きなこと」で「定年がない仕事」と考えたら「料理」だと思い、レストランへ働きに出る。「ちゃんと料理を勉強したい」という欲求が高まってきた頃、夫の東京転勤で国分寺市へ引っ越してきた。末っ子が2歳の時、クラスのほとんどが18歳という調理師専門学校への入学を決意。実家から離れた東京で、「子どもの病気や学校の行事をどうやって乗り切ったのだろう?」と本人が思い出せないほど忙しかった学生生活を家族も応援してくれ、無事卒業した。料理店等で働きながら、自宅でパン教室を始める。パンづくりを教え、素敵な洋食器のテーブルコーディネートとパスタランチでもてなす教室は口コミで広まっていった。パン教室の経験から、パン販売がビジネスになると直感した彼女は、福祉作業所に自分で開発したレシピのパンづくりを依頼。販売先企業を開拓し、パン販売を軌道にのせる。この事業は「仕事」を得られる作業所の方々にも喜ばれた。
 2010年には、都立南大沢学園(軽度知的障害を持つ生徒が就職のための専門的技術を習得する特別支援学校)から、製パン指導の講師を依頼される。特別支援学校での指導は初めての経験だったが、自分が役に立てるならと引き受けた。福祉とは全く関係ないと思っていた「食」の仕事が、結果的に学生時代に学んだ「社会福祉」につながっていることに不思議な感覚を覚えるという。今では、学園の生徒が一生懸命に仕事をやりとげる姿を見ると胸が熱くなるとのこと。製パン、カフェ店員の笑顔、ラベル張り・・・。苦手なことをやれ、と言うより「適材適所」で、それぞれができること、得意なことを生かして働ける場を作りたい、との思いが芽生えた。
 「専業主婦が始めた小さな事業ですから・・・」と謙遜する大西さんだが、将来は「教え子たちの就労先となるようなベーカリー&カフェを作り、地域の人々の雇用の場を創出したい」という夢がある。そして何か始めたい、起業したい女性たちへ「やりたいと思ったことはどんどん挑戦して!」とエールを送る。大西さん自身も、人との出会いが「お客様のニーズに合わせた食の企画・提案」を生み、様々な得意分野を持つ人や会社とのつながりで、それを実現させている。冒頭に出た「酒粕パン」も、「酒粕を原材料にした食品を」というポンテのニーズに応えたオリジナル商品だ。ふんわりとした香り豊かなパンを食べると、おいしくて、思わず笑顔になってしまう。食べる喜び、作る喜び、働く喜び・・・。「食」を通じて家庭や社会を明るくするメゾン(家)をどんどん広げてもらいたい。


vol.25 2012.6.20発行

一歩を踏み出したい女性のためのスペースづくりを実現!

ハニカムステージ 代表
小金沢 一実さん

東京都八王子市生まれ。大学では家政学部で被服学を学ぶ。営業職を経た後、学童保育所の指導員となる。2006年2月に「保育サポーターはちっ子」を立ち上げ、代表に。2007年より専任。八王子市より親子つどいの広場事業の受託の他、一時託児事業などを行う。2012年5月、「ハニカムステージ」代表となり、八王子駅至近にコワーキングカフェをオープン。夫、一人息子とともに八王子市在住。


 ハニカムステージでの講座の様子

オープンしたばかりの「ハニカムステージ」は、すっきりとシンプルな室内。そこで来客を明るい笑顔で迎えてくれる小金沢さん。「保育サポーターはちっ子」の代表として八王子市で子育て支援に携わる元気な市民団体の方、という印象を持っていた私たちに‘女性のためのコワーキングカフェ’をオープンするに至った経緯を話してくれた。
 学生時代から人とかかわることが好き。人材募集会社、酒造メーカー、生命保険会社等の営業の仕事では、これぞ天職と感じ、長時間労働もいとわなかった。だが、結婚後30歳を過ぎても子どもができない。大人向けの営業をすることにも疲れ、少しゆっくりしようと学童保育の指導員アルバイトに転職した。

その後、めでたく妊娠。常勤職員に採用され、出産後には育児休暇も取得した。その間に参加した再就職支援セミナーで出会ったママ3人と意気投合。自分達が欲しかった‘気軽に子どもを預けられる場所’を作りたいと盛り上がる。セミナー講師の支援もあり、「保育サポーターはちっ子」を立ち上げた。
 子育てを支援していて見えてきたことがある。「子育てにどっぷり浸かっていると疲れる」というママの気持ちだ。「ママたちに楽しみを見つけて欲しい」と、はちっ子では、ママのためのサロン&サークル支援を行ってきた。でもまだまだ、女性のための‘活動する場所’や‘発表する場所’が足りない。八王子市、八王子商工会議所、サイバーシルクロード八王子が協働で開催する「本気の創業塾」の卒業生でもある彼女。受講者サポートである「ビジネスお助け隊」や「本気の創業塾女性部会リリエ」の支援もあり、「今流行りの‘コワーキング’っておもしろそう!」と、スペース作りに動き出した。彼女が動き出すと、周りも動き出す。物件の紹介や家賃補助、什器備品の提供など、さまざまな支援、サポートを受けて2012年5月に「コミュニティ&コワーキングカフェ」をオープンさせた。「ハニカムステージ」は彼女の個人事業ではあるが、他女性2名と組む運営委員会があり、一歩を踏み出したい女性たちの相談にのっている。事務所やワークスペースとしての利用だけでなく、様々な講座やイベントも頻繁に開催されている。フリードリンクサービスや焼き菓子、雑貨などの販売コーナーもあり、気軽に立ち寄ってみたくなるスペースだ。
 いずれは本格的カフェもやりたい。今はそのための人脈作りの時期なのだという小金沢さん。これまでも、主たる仕事をもちながら次のために動き、新しい場所を作り出してきた。「ハニカムステージ」が軌道に乗ったら、また次の新しいステージを作り出していくだろう。

※‘コワーキング’とは、事務所、会議室、打合せなどのスペースを共有しながら、独立した仕事を行う共働ワークスタイル。他分野の人たちと刺激しあい、仕事上での相乗効果が期待されるメリットがある。

ハニカムステージ
女性の起業や再就職、子育てなどをサポートするコミュニティ&コワーキングカフェ。地域コミュニティづくりの場及び社会参画を目指す女性支援として、さまざまな事業を展開。
http://www.honeycombstage.com/


vol.24 2012.3.20発行

女性たちの出会いの場をつくりたい

f-SHIP(エフシップ) 多摩桜ヶ丘部部長
小林 朋美さん

長野県出身。静岡県で高校まで過ごした後、短大進学のため上京。WEB制作会社などで働いた後、現在は「女性のためのPC・WEBサポート」の仕事をしている。2009年よりf-SHIPの活動に参加。2011年に多摩桜ヶ丘部部長となる。夫、一人息子とともに多摩市在住。
http://ameblo.jp/fshiptamasakura/


 コ・ワーキングサロンにて
PC講師活動の様子

シーズと小林さんとの出会いは、彼女が多摩市内でまだ赤ちゃんの息子さんを連れて子育てサークルに参加していた頃。一時期はWEBデザイナーとしてシーズのホームページ制作をお手伝いしてもらったこともある。いつ会ってもスレンダーでサラサラの黒髪がきれいな女性だが、特に今回の取材中は前向きな笑顔がはじけ、忙しい生活を楽しんでいることがわかる。
 もともとは独学でパソコンを学び、WEB制作会社で働きながら、夜間はパソコンの学校に通ってスキルを磨いたという頑張り屋さん。結婚・出産後は多摩市内で子育てサークル活動をしたり、子連れで参加できる合唱サークルに参加したり、と子育て生活を楽しみつつ、WEBデザインの仕事を続けてきた。

幼稚園の送り迎えの合間に都心のオフィスに通うなどしながら続けてきた共働き生活に体が悲鳴をあげたのは2010年。長年の腰痛が悪化して寝込むほどになってしまった。
  ちょうどその前年、f-SHIP代表の石黒さんとの出会いがあった。子育て中の女性のために地域で仕事を創出し、「M字型ボトムの底上げ」(就業・社会参加から距離を置きがちな世代の社会参画)を目指す石黒さんに共感。すぐに活動に参加しはじめた。その出会いがあったことから、「住んでいる地域で仕事をすることで自分も家族も大事にできる」と思い、勤めていたWEB制作会社を2010年に退職。独立して「女性のためのPC・WEBサポート」の仕事をスタートした。
  現在は腰痛も改善し、f-SHIP多摩桜ヶ丘部の部長としての活動の他、PC・WEBサポートの仕事をしながら忙しい毎日を送っている。好きなことをしているからなのか、体に疲れは感じても、精神的に落ち込むことはないとのこと。f-SHIPが八王子で毎月開催している「コ・ワーキングサロン」では、PCお助け講座や、フェイスブック講座、ツイッター講座などの講師として、起業・仕事をしたい女性の応援をしている。f-SHIPの活動とPC・WEBサポートの仕事が良い具合に連動し、互いに相乗効果があるのを実感しているという。
  ヨガなどの健康づくりプログラム、講座、サロンなどを通して、女性たちに自分の時間を楽しんでもらうために活動する小林さんの一番の目標は「出会いの場所づくり」。24年度は多摩市内での活動の充実と参加者増を目指す。6月にはママのための癒し系イベントを開催予定。今度は小林さんに出会った女性たちが自分の人生を変えるきっかけをつかむかもしれない。

f-SHIP(エフシップ)  
‘つながるひろがる’女性のための生涯学習コミュニティ
子育て世代を地域と結びつけ、安心・安全な‘居場所’をつくり、生涯学習プログラムで社会への「かけ橋」となるための活動を行っている。
http://www4.ocn.ne.jp/~fship/


vol.22 2012.1.1発行

「書」をとおして人の輪をつなげたい

中野書道會代表 書道家
中野 千秋さん

福島県出身。実家の温泉旅館で高校卒業まで過ごす。大学では書道ゼミ専攻・書道部所属。卒業後、篆刻(てんこく)を続けながら、市場調査会社・出版社・ディスプレイ会社を経て結婚。2児を出産後、「中野書道會」を開設。書道の指導の他、Shop看板・出産祝いTシャツ・書のカレンダー制作など筆文字を生かす仕事も展開中。多摩市在住。
http://sho-works.jp/


 中野さんの今年のイメージは「輪」

昨年11月19日、聖蹟桜ヶ丘駅から程近い『蓮庵』(中野書道會 一ノ宮教室)で「WAの市」が開催された。多摩地域で活動する作家達の手作りアクセサリーや小物作品、創作菓子、近所のcafeのランチプレートなどが出品され、作り手や来場者がそれぞれに繋がり、それぞれの“和” “輪” “環” “羽” “わ!”を創り出す時間がゆったりと流れた。
 この「WAの市」の企画者が中野さん。書道教室を開設する傍ら、「“書”を身近に取り入れてほしい」という願いから、筆に親しむ企画「筆遊びの会」や自由に書く楽しみを体験してもらうワークショップなども精力的に行っている。落ち着いた穏やかな話し方、さりげない気遣いから、大人の女性を感じて少々緊張もしたが、お話していると不思議にほんわかと心が和んでくる。

中野さんの書道との出会いは小学2年生。「実家が旅館で温泉町に育ったので習い事がしたくてもなかなか無かった。先生から声をかけられて近所の書道教室に友人と通い始めたのがきっかけ」。元々、体が弱かったため中学・高校でチャレンジした運動部は体調を崩して諦め、書道に絞られていった。両親が東京の大学をすすめてくれた時も選ぶ基準は「書道」が学べること。就職も「書」に関わる仕事を探したが、結局、アルバイトをしていた市場調査会社に入社。その後、転職、結婚。仕事は楽しかったが、毎日帰宅が深夜に及ぶハードな働き方を続けられないと思い、妊娠を機に退職した。
 出産後は、「いつか会社勤めに戻る」と思って軽く仕事もした。しかし「これじゃない」「何か違う」という想いがいつも胸にあり、焦る気持ちで悶々としていた。第一子が1歳のときに誘われたグループ展へ「書」を出品して手ごたえを感じたこと、その作品を書いたときの自分の中の大きなエネルギー、保育園で子どもに「筆遊び」企画を実施したこと、第二子の妊娠、様々な要因が幾重にも重なって、でもごく自然に、中野さんは「書」を仕事にすることを決めた。退職から7年後だった。
 心が決まってからは早かった。妊娠中に書の表現者から指導者になるための勉強、自宅の一室を教室とする準備をして、第二子出産後、ついに中野書道會を開設する。
 現在教室は、自宅と一ノ宮の2箇所。4歳から80歳代の生徒さんが楽しく稽古に励んでいる。「日々生徒さん達の成長に寄り添える楽しさに感謝していますが、気付くと私自身を育てていただいていると感じることが多々あります」と微笑む中野さん。
 一ノ宮教室にはもうひとつ役割がある。発表の場がなかったり、次の展開に進めなかったりする人を、『レンタルスペース蓮庵』として教室の空き時間を提供することで「最初の一歩」の後押しをしている。「私も皆さんの助けをいただいてやってこられたから」と。
 今年のイメージとして書かれた『輪』に込められた、中野さんの感謝の気持ちと願いが見えたような気がした。これからも、「書」をとおして広がる絆を心の温まる新しい企画へと展開してくれる予感がする。


蓮庵 -Hasu an-  
教室の開講やアトリエ、持ち寄りパーティーの会場として利用できるレンタルスペース。一見すると古い平屋の戸建てだが、中に入るとプロのデコレーターにより個性的な空間になっている。アクセス:多摩市一ノ宮3-5-26 京王線聖蹟桜ヶ丘駅西口より徒歩4分
問い合わせ:中野書道會 中野千秋 TEL042-371-5525 / 090-5344-4709  e-mail:n-shodoukai@topaz.ocn.ne.jp


vol.22 2011.10.5発行

防災とボランティアをテーマに、まちづくりを支援

多摩市社会福祉協議会
立山 裕子さん

東京家政大学心理教育学科卒業。大学生のときのボランティア体験がきっかけで、のちに多摩社協の職員となる。現在は多摩VCの担当として地域のボランティア活動を推進。シーズネットワーク・防災啓発活動のサポーターとしても参加している。息抜きは、たまに行くロックコンサート。


 災害ボランティアセンター
 設置訓練の様子

華奢で清楚な雰囲気をもつ立山さんは、第一印象とは違って非常に行動的でエネルギッシュな女性。多摩市社会福祉協議会(以下、多摩社協)の職員として、日々多忙な業務を精力的にこなしている。
 現在は多摩ボランティアセンター(以下、多摩VC)に勤務し、ボランティア活動を推進するとともに、地域の防災力向上のためのさまざまな活動を行っている。その取組みの一つが、災害ボランティアセンター(以下、災害VC)の設置・運営だ。
 8月27日に聖ヶ丘中学校で催された多摩市総合防災訓練では、災害VCの設置訓練を担当者として運営。高齢者や障がい者など要援護者をどうサポートするか、安否確認、自宅から避難所への誘導などを体験した。

「いざというときに、地域の自治体や関係団体とどのように連携し、協力しあうかも学んでいます。まだまだ試行錯誤です」と立山さん。 
 大学4年生のときに、多摩VCで紹介された「夏のボランティア体験」というプログラムに参加したのが、立山さんのボランティア・デビュー。その年の1月に阪神・淡路大震災が発生し、「ボランティア元年」とも呼ばれた1995年のことだ。自分に何ができるのか、戸惑いながらの参加であったが、高齢者や障がい者と接し、「その人らしく暮らす」という福祉の世界に深く興味をもつ。
 その後、立山さんは就職活動の合間にもボランティア活動を続け、大学卒業後には多摩社協の臨時職員を経て、正規職員として採用。心身障害者通所授産施設に配属され、作業訓練や創作活動などを通じた社会的自立の支援に携わってきた。ボランティア活動をきっかけに芽生えた「障がい者福祉に携わりたい」という立山さんの希望は、こうして叶ったのである。
 多摩社協では、全国規模のネットワークを活かし、市外で起こった災害に対しても支援力を発揮している。東日本大震災においては、街頭募金のほか、市内における救援物資の受付・仕分けを行うボランティアの調整や、関係機関の協力を得て宮城県石巻市に復興支援ボランティアを派遣(6月17日から約1ヶ月間、12クールで延べ108名を派遣)。被災地では、がれき撤去や家屋・側溝の泥出し、カキの養殖作業支援などにあたった。「現地の方々との関係を築きながら継続した支援を行うことで、漁業再開に向けた漁師さんの想いが少しずつ叶えられていきました。その過程に携わることができて、集結した人のすごさを感じました」と立山さん。
 また、プライベートでも旅行会社のボランティアバスなどにも参加し、一人ひとりの力がどうしたら被災地の力になるのかを考えたという。
 最後に、「普段から同じ思いをもった人たちと連携・協働し、活動を積み重ねて行くことが何より大切です。たとえば、要援護者を交えた話し合いや防災まちあるき(※)など、できることはいろいろとあります。また、住んでいる地域では災害に備えた“顔の見える関係づくり”が不可欠。多摩VCの職員として、そのためのさらなる仕組みを考えていきたい」と立山さんは熱い意欲を語った。


※防災まちあるき
防災という視点で地域を歩き、危険箇所や防災資源を発見する取組み。地域のさまざまな人と出会うことで、いざというときに大切な「人と人とのネットワーク」を作ることができる。

多摩市社会福祉協議会  http://www.tamashakyo.jp/
社会福祉法に基づき、地域福祉の推進を目的として設置された民間の非営利組織。誰もが安心して暮らすことのできる、支え合いによる福祉のまちづくりを目指してさまざまな事業を行っている。多摩市総合福祉センター内(南野)と東永山複合施設内(永山)の2箇所にボランティアセンターの窓口を設置。


vol.21 2011.06.25発行

産後女性に身体のリハビリの大切さを広めたい

NPO法人マドレボニータ認定 産後セルフケアインストラクター
野村 智子さん

2009年国分寺市矢島助産院にて長女を出産後、NPO法人マドレボニータ産後セルフケアインストラクター養成コース5期生として学ぶ。2011年2月より「産後のボディケア&フィットネス教室」聖蹟桜ヶ丘クラスを毎週火曜日午前、レンタルスタジオプラーナにて開催中。
2歳の娘、夫とともに日野市在住。

http://plaza.rakuten.co.jp/niagara6618/


産後のボディケア&フィットネス
教室の様子

明るい太陽のような笑顔が印象的な野村さん。彼女が行う「マドレボニータの産後ヘルスケアプログラム」は、バランスボールエクササイズによる有酸素運動、シェアリングとよばれるコミュニケーションスキルを高めるワーク、日常に活かせるセルフケアによって構成されている。産後女性に必要なのは「ダイエット」ではなく「リハビリ」だとして、心身の健康の大切さを広めるべく活動中だ。
 大学では写真を学んだ。卒業後はアルバイトなどをしながら、物撮りのカメラマンをしていた。そんな彼女に、友人から「出産時の写真をとってほしい」との依頼がはいる。20代で出産経験もなかった彼女にとって、助産院での撮影は刺激的で、「出産ってオモシロイ!」と思えた。

当然のように自分も同じ助産院で出産。出産についてはいろいろと調べて臨んだが産後のことについては未知のまま。育児グッズを揃えただけで産後の生活を迎えた。
  活動的な野村さんにとっては、自由に動けない「退屈」な産後1カ月。それを過ぎるとベビーヨガ、ベビーマッサージ、ピラティスなどの講座に出かけまくった。ところが、生後6ヵ月頃から我が子が動き回るようになるに従い、自分の思い通りには出かけられなくなる。とたんに気分が落ち込み始め、このままではいけないと危機感を感じた。夫はといえば、赤ちゃんのいる生活に戸惑い、泣きまくる赤ちゃんをもてあまし、「妻」から「母」になってしまった(ように感じられた)パートナーへの不満を抱えていた。夫婦でお互いの思いを共有する余裕がなく、夫婦関係もうまくいかなくなってしまう。そんな時期にマドレボニータの産後クラスに参加し、その理念に共感。産後女性の身体をケアすることは、心のためにも大切であることに気づいた。夫とコミュニケーションをとっていくには、妻自身に体力が必要なのだと思い至る。同時に「これからの自分」についても考え始めた。
  体を動かすことが好きだった彼女は一念発起、マドレボニータの産後セルフケアインストラクター養成コースを受講。通信教育のカリキュラムは毎週課題があり、かなりハード。必然的に夫の家事、育児の協力なくしてはこなせない。なんと養成コースには、「パートナーに協力してもらう」という課題も入っているのだ。子どもの保育環境の確保も必須条件。「好きだから」「育児の合間に」という気持ちでは受講できない。現場研修を経て、今年2月、教室をオープンした。
  「3~4か月児健診で母親の体を動かす時間がつくれれば」とか「助産院で妊婦さんや産後の方へプログラムを提供したい」など、夢は広がっている。今は自分の活動する地域で「産後ケアの大切さ」を広めるべく、教室の告知広報を頑張っているところだそう。子育て支援は数多くあるが、産後女性の体のケアの支援は少ない。心身ともに健康な「美しい母」を増やして、子どもや家族の幸せにつなげるよう頑張ってほしい。


vol.19 2011.01.01発行

「何かやろう」と仕事に打ち込むうちに、やりたいことが見えてきた

Love&Peaceな服と雑貨たちmakiras(マキラス)代表
中西 景子さん

神奈川県出身。2007年4月makiras設立。アジア途上国でオリジナル雑貨の製造、輸入、国内の障がい者支援工房で委託製造した雑貨の販売を行う。食育アドバイザー。マクロビオティクセラピスト。1歳の娘、夫とともに八王子市別所在住。

http://www.makiras.com/

アジアンテイストな服とアクセサリーが似合う、いい意味でママっぽくない雰囲気をかもし出している中西さん。仕事以外に「ママキラス」というママサークルの運営もしているエネルギッシュな女性である。
 4~5歳の頃から「なんで私という人間はここにいるのだろう」と、「ここにいる意味」がわかる本を図書館で探したというおませな子どもだった。中西さんが起業を考え始めたのは20歳の頃。漠然と「何かやろう」と事業を起こすことを目指す。そのために「何か」に繋がるようなアルバイトを掛け持ちしまくり、何ができるかを探した。その仕事ぶりはアルバイトながら、アパレルショップの店長を任されるほど。

そのうちに「海外」に行くことに興味がわき、国際交流NGOピースボートにボランティアスタッフとして乗船することを目指す。ところが「お金をもらいながら海外に行ける仕事」を転職情報誌で見つけ、卒業1ヶ月前にアルバイトで入社(卒業式はちゃんと出ました!)。婦人服卸業の会社で「3年間頑張る」と決め、将来のために出来る仕事は全部やろうと計画的に仕事を学ぶ。しばらくして正社員へ昇格。ショップの仕事で実績が認められ、その会社では前例のない女性バイヤーとなった。1週間おきにインドネシア、タイ、インド、ネパールへ出張し、買い付けや商談の日々。アジア各国の工場主との顔もつないだ。
  予定通り3年で退社。すぐに個人でアジアへ飛び、前職のつながりを活かして婦人服や雑貨、オリジナル生産品をいきなり仕入れる。1人暮らしのアパートに届いた200㎏もの荷物を見て、「これをお金に換えなきゃ生活できない」と一瞬不安に。100件回って取引先を開拓しようと、キャスターバックに何十㎏もの荷物を詰めて営業に回り始めた。若くして1人で事業を始めた中西さんのことを福生や下北沢の商店のおじさんたちは面白がり、50件程度回ったところで最初の仕入れ品を売りさばく。もちろん商売は順調なばかりではない。不況で取引先が倒産したり、出張先の海外では危険な目にあったりしたが、前向き、楽天的な性格で乗り切った。
  makiras立ち上げ後は、パルコ各店や多摩センター三越などにも期間出店して小売業も始める。多いときには3店舗で10人のスタッフを雇っていた。産前産後も店に立ち、授乳をしながら売上高を気にする毎日。次第に子育ても仕事も中途半端になる自分が嫌になり、産後4カ月の頃に出店をストップした。現在はネットショップ、卸、委託販売、単発のイベント出店販売を中心にしている。保育所の入所待ちのため、仕事は自宅で子どもが寝ている間にしたり、子連れで打ち合わせに行ったり。イベント出店も無理のないスケジュールを組んで家族で参加。アジア各国への出張もしばらく控えている。
  妊娠をしてから自分が変わったという。それまでは全て自分でやっていた仕事の荷物運びを夫に頼むようになったり、スタッフに店のことを頼めたりするようになった。子育ては大変というネガティブな話を周囲から聞いていたので、「すごく大変」なんだと思っていたが、実際に産んでみたら楽しいし、毎日笑顔になれる。こんな楽しいこと優先しないわけにはいかないと思い、自然に家族中心の考えになり、仕事の仕方も変わっていった。
  今は子ども優先だが、今後は仕事で社会貢献しながら事業を成り立たせたい、社会と関わりたい子育て中のママが働ける仕組みや活躍の場を作りたい、とのこと。これまでも自分の興味の向く方向へ事業をシフトしてきた中西さん。今後も自然体でmakirasを育てていくのだろう。


vol.18 2010.09.25発行

「子育て」をキーワードにまちづくりを提案

NPO法人はままつ子育てネットワーク ぴっぴ 理事長
原田 博子さん

2006年NPO法人はままつ子育てネットワーク ぴっぴを設立。子育て中の親の視点を通して様々な事業に関わりを持っている。また、キャリアカウンセラーとして、若年者就職支援、再就職支援にも関わり、現在、母親のハローワーク「マザーズサロン」にて子育て情報提供などの相談も行っている。浜松市在住、高校生と中学生の2児の母。

猛暑が続く8月。静岡県浜松市の「浜松市子育て情報センター」を訪ねた。原田さんが理事長をつとめる“NPO法人はままつ子育てネットワーク ぴっぴ”を知ったのは、シーズネットワークの防災活動のためにインターネットで情報収集をしていたとき。サイトで紹介されていた防災ワークショップが楽しそうだったので「私も体験したい!」と早速ラブコール。原田さんと何度かメールのやり取りを重ね、多摩市での防災ワークショップ実施とインタビュー取材の快諾をいただいた。上品で柔らかな物腰、穏やかに、でもハッキリと話される原田さんの、事業を展開するパワーはどこからくるのだろうと、お話をうかがうのが楽しみだった。
 15年前、第一子が2歳の時に夫の実家の大分県から浜松市へ引っ越し。「子育て施設は無い、子育ての情報は手に入らない、友人も親戚も、浜松には何もなかった」。友人が欲しくて通った育児サークルの集まりのたびに、子どもは家に帰りたいと機嫌を悪くし、他人とふれ合う時間は限られていたとか。その頃を思い返す原田さんの言葉には、日々募る孤独感が浮かび上がる。だが、市民活動をしている友人に出会い、「母親たちが中心になり自分たちの意見を行政に提案する」サークル活動に参画していくようになる。

NPO法人はままつ子育てネットワーク ぴっぴ
http://npo.hamamatsu-pippi.net/
静岡県子育て支援NPO法人立ち上げアドバイザー。浜松市中区協議会委員。H20年度静岡県男女共同参画社会づくり活動に関する知事褒賞受賞。著書:地域メディアは地域を変えられるか(共著)

「市民活動一筋ですか?」と尋ねると、「パートもしたのよ。社会復帰したかったから」と笑う原田さん。第二子の出産や入所困難な保育所事情などもあり、社会復帰よりも市民活動を深めていったのかもしれない。その後、「浜松子育てネットワークPippi“ぴっぴ”」を結成。2005年に浜松市が市民団体と協働で立ち上げた子育てポータルサイトの構築で、プロジェクトリーダーをつとめたことがきっかけになり団体を法人化した。
 市民の要望を踏まえて、情報が探しやすく分かりやすい言葉で表現されたそのサイトは「日経地域情報化大賞」の「日本経済新聞賞」ほか多方面から多くの賞を受けた。受賞後、招かれて「地域の情報化」と「子育て支援」を結んだ効果などを様々な場で話すと、「子育ては女房がしていたから」と、子育てする時間もなく仕事をしたことを「誇り」のように発言する保守的な意識の男性が多いことに、原田さんはもどかしさを感じた。
 「まちづくりに子育ての視点は必要なのに」という強い気持ちが、原田さんの中に固まった。行政の防災対策に欠けている、子どもや女性のための防災スキルを「防災ワークブック」としてまとめ、ワークショップとともに各地で実施。また、ベビーシッター養成、託児付き乳がん検診の推進事業、「子育てタクシー」への支援など、行政や企業とともに子育ての視点が入ったまちづくりを提案し続けている。10月には専門学校との協働で、女性の就労と待機児対策支援として、保育士や幼稚園教諭の再就職支援講座も開催する予定。「NPOのお金、情報、人脈(ネットワーク)は『人』によってもたらされるもの。色々な人たちと共通目的をみつけて事業を作ることで、関わる人を増やしていきたい」と話す原田さん。事業意識の高い理事やスタッフとともに、次の事業を思い描いているように見えた。


vol.17 2010.06.20発行

人と人とをつなげていきたい

誕生学アドバイザー
村本 絵吏 さん

法政大学社会学部在学時より、出産・食・心の関係に関心を持つ。卒業後、渡英。ベジタリアンレストランにて研修。帰国後、料亭勤務を経て、結婚、出産。2009年日本誕生学協会認定誕生学アドバイザーとして活動開始。2010年サロン「ココカゲン」をスタート。お母さん業界新聞お母さん記者(MJ記者)としても活動中。2男1女の母。稲城市在住。

http://ameblo.jp/yurijunu/

 誕生学アドバイザーとして都内・多摩地域で“誕生学サロン”や講師活動をしている村本さんは、6月から、「ココカゲン」(ココロとカラダがゲンキになる空間)というサロンをオープンさせた。週2回開催のサロンには、自身のマタニティブルーやこれまでの経験から長年あたためてきた、「人と気軽に会話でき、笑顔になれる場、妊娠中や育児中でも社会とつながっていられる場があったら良いな」という思いがこもる。オープンのきっかけは友人からコミュニティスペースとして利用できる民家の情報を聞き、すぐに代表者へメールしたことだった。村本さんの思いと「世代を超えた交流」を目指していた代表者の志が重なり、とんとん拍子に話がまとまった。本人いわく「思い立ったらすぐ行動!」の人だとか。
 村本さんは中学生の時から冷え性・生理不順に悩んでいた。大学時代に「このままでは赤ちゃんを産めないよ」と医師から言われた一言が自分を見つめ直すきっかけとなった。漢方薬やマクロビオティックを学んで体質を改善。冷え性から解放され体調の良さを実感したちょうど同時期に、望まぬ妊娠で産まない選択をしたという報告を友人から聞き、「命って何だろう?」と深く考えることに。そのとき出会った“バースエデュケーター”(出産準備教育)という言葉が、後に村本さんと誕生学をつなぐことになる。

 誕生学ってなあに?
「生まれてきたことが嬉しくなると、未来が楽しくなる」をコンセプトに、自分がどんな風にお母さんのお腹の中で成長してきたのか、どんな力を使って生まれてきたのかを年齢に合わせた表現と内容で伝えるライフスキル教育プログラム。
日本誕生学協会http://www.tanjo.org/index_2.html

その後、結婚、出産を経て専業主婦として過ごす。長女が幼稚園に入園すると、「社会とつながりたい、何かやってみたい」と、友人同士で特技を教え合うサロンを自宅で開催した。第3子を妊娠した時には「妊娠中だからできること」をやりたいと、ユニークな勤務体制で女性の就労を支援する授乳服の販売会社「モーハウス」へ就職。さらに誕生学アドバイザーの資格取得を目指すことも決め、産後1か月から養成講座を受講開始。ほどなく復職もする。赤ちゃんと一緒に表参道へ通勤しながら、上の子どもの世話や家事、夜は誕生学のレポートを書く生活。「産後は活字も読みづらい時期。大変だったでしょう?」と問いかけると、「なりたい目標があったので走れていた」と微笑みながら答えてくれた。

村本さんの背中を押したものがもう一つ。パン屋で、ふと手に取った「お母さん業界新聞」(トランタンネットワーク新聞社発行)に書かれた、「お母さんはスゴイ!」の言葉だった。日々の子育ての中で感じることを発信し、お母さんの視点で社会を見つめていくことに共感。すぐにお母さん記者(MJ記者)に登録した。そして今年5月、内容、紙面構成、記事の執筆から印刷・配布までを一人で担当する「地域版」を発行。B4サイズ両面、白黒の「稲城市版」は、お母さん業界新聞本紙に織り込む形で多摩地域に配られた。取材を通して地域の人とつながりやすくなったと村本さんは感じている。ただ住んでいるだけではない、一歩踏み込んだ関係が出来はじめているそうだ。
 「人と人をつなげていきたい。まずは、お母さん達から。すごいお母さんがたくさんいるので、つながっていけば活気があふれると思うんです」。お母さんや地域を紙面でつなぐ「お母さん業界新聞 稲城市版」と、顔を見ながらつながる場「ココカゲン」、村本さんの心の柱「誕生学」。これまで母として社会人として培った経験のすべてが、いま結実している。ほんわかした笑顔、ゆったりとした話し方や仕草から醸し出すおだやかな雰囲気を裏切る数々の出来事の先に、これから何が起こるのか、目が離せないと思った。


※サロン「ココカゲン」
民家クラブハウス リヴァイヴ(多摩市乞田1347)で毎週火・金曜日開催。午前の部(10時~12時)/お昼時間(12時~13時)/午後の部(13時~15時) 日替わりお昼ごはん要予約。参加費500円(1日参加の場合は800円)。「誕生学サロン」も定期的に開催。
問合せ:srnsf227@ybb.ne.jp/090-4423-0030(村本)


vol.16 2010.03.20発行

好きなことを仕事にできていることが何より幸せ

イラストレーター
大友 美貴さん

北海道出身。埼玉県飯能市にある「自由の森学園」1期生。北海道のフリースクールで約20年間スタッフとして働く。その後、東京に移り住み結婚。現在はイラストレーターとして活動中。1歳の息子、夫とともに多摩市馬引沢在住。

シーズネットワークが「赤ちゃんや幼児がいる家庭の防災ハンドブックABo(アボ)」を制作するにあたり、表紙や中面のイラストを依頼したのが大友美貴さん。そもそも彼女と出会ったのは2年前。ミュージシャンでありマジシャンの夫・大友剛さんに親子向けクリスマスコンサートを依頼した時に、その告知ポスター作成を担当してもらってからのお付き合いである。
  小さな頃から絵を観たり、描いたりするのが大好き。「大きくなったら絵の仕事をすんだ!」と決めていたという美貴さんだが、小・中学校の美術の授業は大嫌いで、作品を完成させられず、提出できなかったこともあるとか。しかし、家に帰れば、絵を描かない日は1日もないくらい、一人で絵を描いていた子どもだった。その後、実家の母親が札幌で登校拒否や引きこもりの子どものために立ち上げたフリースクールでスタッフの仕事をしながら、活動のお知らせや、フリースクールで本を制作する際のイラストを描く。当時フリースクールはマスコミにもよく取り上げられており、そんなマスコミとのつながりから、新聞や雑誌に似顔絵やイラストを描くなど、絵の仕事を時折やっていた。  

フリースクールで音楽を通して子ども達と関わっていた剛さんと出会い、結婚。現在は夫の実家のある多摩で、主に夫のライブ活動の告知チラシやCDジャケットのイラストの仕事をしている。2009年には高円寺のカフェや六本木の焼酎バーで個展の開催も。でも、「個展は『やらせていただきました…』くらいに書いてください」と、自分の活動のアピールについては謙虚なのだ。
  シーズネットワークの「ABo(アボ)」制作にあたっては、リアルに災害現場を表現してもらいたくて何度も修正のやり取りを重ねた。「赤ちゃんを抱え、他の仕事も重なって忙しい中、修正が多くて大変な思いをさせてしまいましたよね」と言うと、「仕事で関わる人に意見を言ってもらえるのは楽しい。自分の感覚を育てる肥やしにしています。」と返してくれた。時にはすんなりとは受け入れられない修正指示もあるが、自分の感覚や意見を表現しながらやりとりを重ねるうちに理解しあえる、その過程までもが楽しい作業なのだと言う。「好きなことを仕事にできて幸せです」と穏やかに微笑んだ。

  
ジャケットイラトストを担当した、大友剛さん演奏の最新CD「ピアノできくこどものうた」(キングレコード)

息子が生まれて1年。仕事の時間がまとまって取れない分、時間の割り振りをし、集中して取り組むようになった。今は我が子が成長していく中で新しい個性をはぐくめる立場にいることにワクワクしているという美貴さんの将来の夢は「絵本をつくる」こと。その構想はすでに自分の中にある。「フリースクールで既存の学校の枠にハマらない多くの若者と関わってきました。彼らの感性や、物の見方を表現できる絵本が描きたい。」とのこと。おっとりした中にも、一本芯が通った雰囲気を感じさせる彼女の「絵本作家デビュー」が楽しみだ。


vol.15 2010.01.05発行

自然に近い暮らしから、生きる力を身につける

防災・防寒コーディネーター
あんどう りすさん

東京都出身。阪神・淡路大震災の被災経験とアウトドアの知識を生かした、防災・防寒コーディネーターとして全国で講演活動を展開。カナダ政府公認子育て支援プログラム「Nobady’s Perfect Japan」認定ファシリテーターとして子育て支援にも関わる。アウトドアライターの夫と息子、犬とともに埼玉県飯能市在住。

1995117日夜明け前、ゴォーッと響く地鳴りのような音で目が覚めた。とっさに「地震!」と感じ、布団を持って学習机の下へもぐった途端、ものすごい揺れ。立てない、動けない、なにもできない。「死ぬかもしれない」という恐怖を感じた瞬間だった。
 この阪神・淡路大震災の体験が、弁護士を目指して大学の法学部で学んでいた彼女の人生観を変えることに。一番大切な「生きる」すべをなにも知らなかったことにショックを受け、自分の命をどうやったら守れるかを知りたくなった。そこで、もともと好きだったアウトドアの世界で、フリークライミングやカヌーなど、生きるために体を使うスキルをあげることに意識的に取り組むように。一方で、妊娠してから命の重さをさらに感じて、司法試験のための「刑法」を学ぶことがどうしてもつらくなってしまう。司法で「事後的な救済」をするのではなく、何か起きる前に、命を守るために今できることをしたい、という思いも強くなった。出産後、「この子の命を守る」ための工夫と実践を、自身が出産した助産院で経験をもとに話した。それが今に続く講演活動のきっかけとなる。

 
あんどうさんが背負っているリュックサックの中から出てくるグッズは、厳選された必要最小限のものばかり。普段持っているママバックを防災対策仕様にする、アウトドア用レインウエアを普段着として親子で使う、というような子育て中の体験に基づく実践的な内容を通じて、「防災に大事なのはグッズではなく、自分がどちらに逃げたらいいかを判断できる能力」、「物の使い方を発見できる自分になる」、「一番強いグッズは自分」などの防災に対する考え方を、講座や著書で伝えている。「防災に関してならどこにでも行きます!」という彼女の防災講座は、口コミで広がり、全国から依頼が舞い込む。アウトドアメーカーに「アウトドア素材を使用した布おむつを作って欲しい!」という企画提案もして実現させた。
山と渓谷社「震災を生き延びる100の知恵」第7章、自然育児友の会「ちいさないのちをまもるママのためのナチュラル防災講座」著者http://plaza.rakuten.co.jp/risurisurisu/

「赤ちゃんからできる川遊び講座」のようなアウトドア講座も開催しているという彼女と一緒に、山や川で遊んだらすごく楽しそう!と思わせる、明るいオーラを放っているあんどうさん。日々の生活は、畑で野菜をつくり、梅干を漬け、味噌を仕込み、大根を干して沢庵をつけるような、ナチュラルライフ。かつて共に司法を学び、今は弁護士となった友人達にもうらやましがられるとか。

 そんなあんどうさんの講演会をシーズネットワークが多摩市で開催します! 乞うご期待。

  

防災グッズ

vol.14 2009.09.20発行

「私らしい心地よさ」を大切にして欲しい

合同会社『私の心地よさ』代表
紀乃 のりこさん

山梨大学卒業後、上京しIT企業に就職。システムエンジニアとして6年間勤める。2006年、合同会社『私の心地よさ』設立。ベビーマッサージ教室やおしゃべりサロン、育児生活講座や相談、キッズ英会話教室などを開催。育児生活コンサルタント、日本誕生学協会認定ベビーマッサージ講師。1歳の息子と夫とともに多摩市鶴牧在住。

http://watacoco.com/

 取材のため「わたここオフィス」を訪問すると、紀乃さんの笑顔とともにやさしいアロマの香りが出迎えてくれた。「どうぞ」とすすめられたお茶は、ほどよく冷えた「わたここ」オリジナルブレンドのオーガニックハーブティ。会社名に違わぬ心地よさだ。
 合同会社『私の心地よさ』の設立は4年前。設立当初は他社からベビーシッターサービスの東京エリアマネジャーを請け負う。妊娠、出産を挟んで産後4ヵ月から、わが子を連れてベビーマッサージ指導を始めた。「病気もぐずりもしない、いいモデルだった」という息子さんは、今はモデルを卒業()し、保育園に通っている。

山梨県出身の紀乃さんは、山に囲まれた盆地の中で、「早くここを出たい」と願っていた。しかし東京への大学進学は叶わず、地元の大学へ。就職で上京。大手企業で月の残業時間が100時間を超えることもあるハードワークをこなし、休日はバイクを飛ばして活動的に過ごした。でも「いい大学」や「いい会社」に入っても「幸せ」を感じられなかった。ずっと必死に頑張ってきたのになぜ? ずっとこのままなんて嫌! これから私はどうしたらいいの? 答えを求めて自分をしっかり見つめ始めた20代後半、会社を辞めて起業を目指す。先輩に「やろうと思ったときがベストタイミング」と背中を押してもらい、1人で起業。結婚直前だった婚約者に「会社をつくる」と言ったら、「いいよ! 」とあっさり賛成。好きなことを仕事にしている彼にとって、やりたいことを仕事にしようと挑戦する彼女を応援するのは当たり前のことだったそう。

  

「わたここ」
ベビーマッサージ教室の様子

起業するエネルギーはどこから来たの? と聞くと、「自分のやってみたいことをやったらどういう結果になるか見てみたいという好奇心」だとのこと。勉強、スポーツ、音楽、仕事、趣味…優等生目指して何でもやってきたが、自分が本当にやりたいことは我慢してきたという思いがある彼女にとって、「やりたいことをやる」というのは、心からわくわくできることだったのだ。
 小さい頃から学校の先生になりたかった。だが塾講師アルバイトの経験から「教師になっても既存のしくみに縛られて、私のやりたいことはできないのでは」という思いがあったという。
 そんな彼女の今の夢は「保育園をつくること」。子ども1人ひとりが大切にされて、「僕もすごい! 私もステキ! 」と自分に自信を持てる保育がしたい、小学校に進学後も通える子どもの居場所をつくりたい、老人ホームや安心して食事のできるレストランも併設したい、と夢は広がる。
 まずはできることからと、今は妊婦さんや、子ども連れのママ・パパ向けに「おしゃべりサロン」や「育児生活講座」なども開催している。
 どこかに所属して他人に責任を負わせてしまうより「全部自分で責任がとれる方が気が楽です」という紀乃さん。「頑張って! 頼りにしているよ」と応援してくれる家族にも、自分にも、そして地域の子ども達、ママ達にも心地よい時間をつくり上げていくのだろう。



vol.13 2009.06.20発行

心理学を使って、気持ちが楽になる方法を伝えたい

SCORTE(エスコルト) 代表 心理カウンセラー
城取 恵さん

20代の頃は外資系会社勤務。30歳のとき、日本総合カウンセラー養成学院にて、アートセラピスト、コミュニケーションファシリテーター、心理カウンセラー実践を学び、NPO法人日本カウンセリング普及協会の認定資格を取得。その後、カウンセリングルームの登録カウンセラーとして働く。20085月、SCORTE(エスコルト)設立。エニアグラムアドバイザー1級資格取得。小学6年、4年の2人娘の母。八王子市鹿島在住。

http://www.scorte.net

 
 城取さんの取材ため、私達が初めて訪れた「ビジネススクエア多摩」()。そのミニブースの一画で、彼女は主にメンタル系サイト運営の仕事をしている。ここを多摩の拠点として活用しながら、週の45日は表参道にあるカウンセリングルームSCORTE(エスコルト)で心理カウンセラーとしてカウンセリングもしている。セミナー講師やファシリテーターなどもしていると聞いていたので、弁の立つ、饒舌(じょうぜつ)な女性をイメージしていたら、意外にも取材時はとても緊張したご様子。ゆっくりと言葉を選びながら、ご自身のことを話してくださった。

自称「心理学オタク」。心理学は一生勉強、でもその勉強が楽しい、のだそうだ。だからこそ、30代で非常に難しい心理カウンセラーの認定資格を取得し、カウンセラーとして仕事をすることができるのだろう。ご自身も高校生の頃からカウンセリングを受け、自分のことを安心して話せるカウンセラーを探していたとのこと。もともと「心」に興味があり、心理学関係の本ばかり読んでいた。「心」は何をするにもついて回る。つらい目にあっても「心」が健康であれば、楽しく生活できるのではないか、と考えていたという。
 35歳でカウンセラー仲間とともに、エスコルトを設立。当初から拠点は都心だったが、子育てをしながら仕事をする城取さんは、地元に拠点を持ちたかった。ビジネススクエア多摩で仕事をすることは「自宅と近くて楽。いろいろな会社が集っていて、創業間もない人同士の仲間意識もあり、安心感がある」。現在、多摩地域でも、出張カウンセリングや親子を対象としたアートセラピーセミナーなどを行っている。

()ビジネススクエア多摩とは?
多摩市が創業支援等を目的として東永山複合施設(旧東永山小学校)内に設けている施設。

最近、娘の小学校のクラスにトラブルがあることが気にかかり、娘と友達8人に話をする機会を持った。話をする前に友達の親に了解をとり、当日はプリントも配った。話の内容は、怒りのコントロールについて。自分自身が怒る時の隠された本当の感情や、相手に怒られた時の考え方や対処法を子ども自身が理解できるように具体的に説明。自分の周りで実際にあった出来事の本当の意味(自分の親がどうして怒っていたのか? 隠された本当の親の感情など)を考えてもらうことができた。後でプリントを見た母親から「コミュニケーション講座」を開催して欲しいという依頼もされたという。今、仕事を度外視して、多摩地域で子ども向けに感情のコントロールについて話をしたいと、地元の学童保育所などに企画を持ちかけている。「心理的作用で気持ちが楽になれることを大人にも子どもにも伝えたい。カウンセリングを受けたことがないという人が多いが、もっと気軽に話したり、相談したりして、カウンセラーや心理学を利用して欲しい。」と語る。
  最後に心理学を利用したカードゲームをしてもらった。解説する城取さんも楽しそうだ。エスコルトを株式会社にする、という夢もあるという。心理学やカウンセリングがもっと身近なものになるためにも、城取さんの多摩での活動を応援したい。


vol.12 2009.03.20発行

仕事と子育て 独自のペースで進行中

日本インターネット新聞社 取締役
山本 千晶さん

東京農工大学大学院 共生持続社会学科卒業後、青少年の教育に携わる社団法人に就職。ボランティア先の環境NGOの知人から「市民メディアの会社を立ち上げるから手伝わないか」と誘われ、見学に行った会社設立会議で、乞われて社員に。現在、一時保育を限度日数まで利用しての週3日勤務。1歳半の息子、夫とともに横浜市在住。

 「インターネット新聞JANJAN」(日本インターネット新聞社。以下、JANJAN)は、プロのジャーナリストの記事だけでなく、「市民記者」が市民の視点で発信する暮らしのニュースを掲載しているのが特長。職場は時間に追われるメディアの現場、仕事と育児に加えてボランティア活動もしていると聞いて、超多忙な方?と勝手にイメージが膨らんだ。だが、お子さん連れで現れた山本さんは物腰の柔らかな若いママ。「子育てが楽しい。できるだけ子どもは自分で育てたい」――力強い言葉から、軸足は子育てのようだ。

JANJANへの入社時には事務職であったはずの山本さんだが、人手不足で記事も書くことに。ジャーナリズムやメディアを知り尽くした社長が設立した会社には、次第に各界の錚々たる顔ぶれが関わるようになってきた。折に触れ身近で話を聞くことも多く、「物の見方、社会を見る目」が育まれていったという。そして、世の中の状況に通じた個性の強い記事が多い中、市民目線で「普通の事」を書く貴重な存在になっていった。現在の主な職務は、広報や人事といった社内業務に加え、記事の執筆等で活躍する約700人の市民記者をモチベートすること。同時に、記者や編集者でもある。
 結婚・出産を経て、息子が7ヶ月で離乳したのを機に仕事へ復帰。山本さんが週3日、夫が週2日勤務、勤務しない日は育児をするというスタイルで保育所には預けなかった。環境NGO活動をしている夫の仕事が一般企業よりは育児休暇を取りやすかったことと、夫自身が仕事も育児もお互いイーブンという考え方で、育児に積極的な人柄だったことが大きい。
 

インターネット新聞JANJAN
「市民の、市民による、市民のためのメディア」として、市民の視点に立った良質な言論を創り上げるために、生活や仕事、ボランティア活動の現場からのニュースをインターネットで配信している。
市民記者制度があり、登録数は約7,100人。
http://www.news.janjan.jp/

変則的な育児休暇をとりながら、生活と仕事を切り離さず、親のありのままの様子を見せたいと、さまざまな場面に子どもを連れて行っている。3日間の国際会議に子連れで参加し、中国の参加者から、保育所に預ける費用がないのかと気の毒がられたというエピソードも。しかし、夫がフルタイムに戻るため、保育所の入所を決意。「安心して預けられる」と納得できる保育所を探し出し、いまの街に引越した。昨年末から一時保育を利用している。
 「不況の時期でもあるし、働けと言ってくれる場所があることは有り難い。まだ、定時前に退社させてもらうので心苦しいですけど・・・」。そんな彼女に、嬉しい事って何ですか?と尋ねると、「子どもの成長を発見したり、見守っていられること」と笑った。子育てと仕事の間を揺れながら、4月からはフルタイム勤務になる。
「仕事を持ちつつ子育てをするというのは私の望むところではあるけれど、どういう形だったら良いのか、まだこれといった姿が思い描けないでいる。」(山本さんのブログより)と書かれた言葉。多くの母たちが迷ってきた道でもあるが、悩みながらもひらりと、山本さんらしく飛び越えていく気がする。


vol.11 2008.12.20発行

「映画をつくりたい」という想いをNPOで実現!

ドキュメンタリー映画「bloom」プロデューサー
塚田 幸恵 さん


山形大学教育学部(美術)卒。‘夢のあるフリーター’として、ミニシアターでのアルバイトや産休代理教員など様々な職を経験する。結婚、出産後、「NPO法人子育てコンビニ」と出会い、現在は映画製作&ふれあい上映会プロジェクト担当として活躍中。4歳の息子、夫とともに三鷹市在住。

大きな目をくりくりさせて、映画製作の苦労や喜びを話す塚田さんは、映画製作発案当時は1歳の息子を抱えた専業主婦。その彼女がプロデューサーのひとりとなり、子育て支援をメインに活動するNPO法人で映画製作を実現させた。内容は「出産したばかりの女性の本音を集めたドキュメンタリー」だという。これは観なくては!と、私たちは20081月に開催された完成披露上映会に飛んで出かけた。そしてぜひ「bloom」をみんなで観たいと、シーズネットワークも上映会の開催に動き出したのである。

平日は息子を市の子育て広場などで遊ばせながら過ごしていた塚田さんが、「NPO法人子育てコンビニ」※の集まりに出入りしはじめたのは、子どもを介さない「つながり」や「自分の居場所」が欲しかったからだ。200512月、あるお茶会の場で子育てコンビニ代表理事小林さんの「どんなことがやってみたい?」の問いかけに、塚田さんは「映画を作りたい!」と答える。小林さんの「やってみたら!」という反応を、好感触と受け止め、「ここでなら作れるかも」と思ったという彼女。自身はミニシアターで働いた経験から、自主制作映画が身近であり、「仲間がいれば映画を撮りたいな」と常々思っていた。実は、小林さんは内心「とんでもない話だな~」と思っていたそうだ。

  映画完成までの2年間の苦労や悩みは少なくない。落選を重ねた助成金申請書の作成、撮影を依頼したプロの映画監督との試行錯誤、週末家で留守番となる夫や息子との葛藤…。子育てコンビニの映画プロジェクトメンバー、監督、夫、息子、いずれもぶつかりあいを乗り越えるための意思疎通が一番の苦労だったという。一生懸命話し合い、その結果、企画や映画は確実に良いものになり、納得できる出来上がりになった。家族にも映画作りの苦労や熱意をわかってもらった。「もめないと先に進めない」という状況の中で、結果的に彼女の想いを「受け止めてくれて、今、継続している人間関係がある。人とのコミュニケーションに前向きな自分になれたことが財産」と微笑んだ。

bloom」完成から1年、全国各地で約30回もの上映会が催されている。「映画づくりは‘出産’のようだった」と言う塚田さんの今の願いは、「bloom」上映会をさらに広げていくこと。「『どんな映画か』とよく聞かれるが、観客ひとりひとりが自分の中の想いと重なり合わせることによって完成する映画。まずは観てほしい」と語る。「実は『父親編』を作るという野望もあるんですよ」とニヤリ。やりたいことを持っているひとはキラキラしていると実感したインタビューだった。

※NPO法人 子育てコンビニ
孤独な育児からの解放、育児を楽しめる環境づくりを目指して、育児サークルの交流促進、子育て中の主婦の社会参画促進、育児情報の提供などの活動を、三鷹市を中心に展開
http://www.kosodate.or.jp


vol.10 2008.09.20発行

女性ならではの働き方を応援していきたい

合資会社トゥインクルワン代表
プロジェクトコーディネーター
小山田 佳代さん

桐朋学園短大 芸術科演劇専攻卒業後、キャンペーンガール、MC、イベントディレクター等の職を経て、結婚・出産のため休職。子育て専念中に入会した女性ネットワークの活動経験から、その後、子育てと女性をテーマに様々なプロジェクトを企画実施。現在は、ココハピプロジェクト、学芸大学こども未来プロジェクト研究員、地元児童館の地域コーディネーター、子ども音楽イベント等で活躍中。中3娘のママ。小金井市在住。http://blog.livedoor.jp/twinkle1/

 小山田さんは、子育てと女性をテーマにしたプロジェクトを実施する合資会社トゥインクルワンの代表として、小金井市を拠点に子育て中の女性や子どもを対象に様々な活動を行っている。第一印象は美人でちょっと近寄りがたい感じだが、話をすると温かくて気さくな人柄が伝わってくる。

 今一番力を注いでいるのは、子育て応援フリーマガジン「ココハピ」(写真)の制作だ。会員登録していたNPO法人カッセKOGANEI(小金井市民起業サポートセンター)が主婦が無理なく社会参加できる仕組み作りを目的として開始した冊子発行事業を、今年度から引き継ぎ、独自事業「ココハピプロジェクト」として立ち上げた。“捨てられないフリーペーパー”を合言葉に、それぞれに2歳~中学生の子どもを育てている主婦8名が企画・取材・編集を担当している。

 冊子発行に必要な経費は地元企業から広告を集め、メンバーには“有償ボランティア”として働いてもらう。市民活動と仕事の良いところどりだが経営は苦しい。しかし、“有償”にこだわるのは、仕事として責任をもってやりとげる充実感を感じて欲しいから。家事や育児とは違う社会との関わりを持って欲しいと願っているからだ。「取材先で出会う皆さんの活動が勉強になり励みになる。1号発行するごとにネットワークが広がっていることを実感できる」と笑う小山田さん。広がったネットワークは「第3回ココハピcaféスタ」(1127日開催)のイベントやwebサイト「ココハピ」など、次につながっている。

「ココ=自分のまちで」「ハピ=ハッピーに暮らす」をテーマにむさしの地域に暮らす“子育て世代”を応援するフリーマガジン。2006年秋創刊。発行部数10,000部(年4回)。三鷹、小金井、国分寺を中心に子育てサークルや親子が利用する公共施設等に直接配本している。

  小山田さんの様々な活動の根幹には、娘が1歳の時に入会した子育てサークルで経験した、子育て中の女性同士の信頼感と子育てを楽しむイベントを実現した達成感がある。お互いが子育て中だからこそ集った、様々な経歴の女性達との出会いがなければ「ふつうに子どもを保育園に預けて前職にもどったと思う」。

 女性が子育てしながらフルタイムで働き続ける事は難しいと感じている。「だからこそ、女性ならではの働き方を応援していきたい」。例えば好きなことを『仕事』にするための支援や家庭とのバランスのとれた働き方などを、これまでの経験とネットワークをもとに「女性のキャリア支援」として展開できればと考えている。そして、子育てしている専業主婦の女性達に向けて、「社会との接点を持つ事や何かを責任をもってやりとげる事は、子育てにも良い影響がある」と信じて、女性が成長していく場の提供もしたいと力強く語ってくれた。実はシーズとは2000年からのお付き合い。女性の社会参画支援への“思い”は私達と共通している部分も多い。今回の取材を終えて、今後も互いに切磋琢磨していく存在でありたいと感じた。 


vol.9 2008.06.20発行

あなたの「もっとこうなりたい」を応援します

プロフェッショナルコーチ
歌田なぎさ さん

山口県出身。九州の大学で教育学を学び、卒業後も九州で就職。転勤で上京し、結婚、出産を経て、現在2度目の育児休業中。正社員として働きながらコーチングを学び、現在は(財)生涯学習開発財団認定プロフェッショナルコーチとしても活動中。小学校教諭、幼稚園教諭の資格ももつ。8歳、0歳の2児のママ。多摩市在住。

 

 0歳の我が子をスリングに入れ、地域の子育てひろばや親子向けイベントに積極的に参加し、子育て期を楽しんでいる歌田さん。でもただ楽しんでいるだけではない。シーズネットワークが主催する子育てひろばで、「私、母親向けのコーチング講座をやりたいんです」と話しかけてくれたことから、シーズネットワークBeans(ビーンズ)プロジェクトへの参加、自らが講師を務める母親向けのコミュニケーション講座の企画へとつながった。その前向きさ、積極性は「育児期間の充実」を目標にした自らも受けているコーチングの成果なのだそうだ。<「コーチング」って何?と思った方は2面を見てね>

 あるセミナーで「コーチング」に出会い、自分が会社の仕事の中で無意識のうちにやっていたことがコーチングのスタンスだったことに気づく。系統立てて学べば、人の成長を促しながら、もっと人を活かしたマネージメントができる、と思い、2004年からコーチングを学び始める。プロフェッショナルコーチの資格をとり、コーチを養成するプログラムの試験にも合格。現在は、電話を使ったグループコーチング(20人を相手に電話で話す!)をしたり、講座の講師としても活躍している。電話を使って行うことができるコーチングは、子どもを寝かしつけた夜10時頃から始まることが多い。子育ての時間と自分の時間を上手に使い分け、生き生きと楽しみながら毎日を過ごす。

 コーチングは自分の子育てにも生かされているという。わが子に「どうしたいのか」を聞き、基本的に本人の意思を尊重する。「甘やかし」にならないようにするには母親自身の中の「軸」をはっきりさせておくこと。「どんな子どもになってほしいか、子どもの10年後、20年後を考えながら子育てしている」「そうはいっても悩み、迷うこともあるんですよ~。いつも自問自答しています」とニコニコと笑う歌田さん。しっかりしているが、完璧すぎない人間的なバランスが絶妙だ。こんなにコミュニケーションの上手な女性が会社の同僚だったり、上司だったり、家族、友達だったら、周囲はとっても楽だろうな、と思う。

 「コーチングはすごくおもしろい」と歌田さんは言う。人は話すことで、新たなことに気づき、本来もっている力を発揮しはじめる。自分が関わった相手の「こうなりたい」という目標が実現した、話して行動したことで人生が願う方向に進みはじめている、という報告を聞くのはとても嬉しい。どんなに忙しくてもコーチングの活動はまったく苦にならないのだそうだ。人の幸せをサポートする活動が趣味でありライフワークである歌田さんは、幸せな人だと思う。


vol.8 2008.03.10発行

素敵な親子の時間を提案します!

MILK・IDS-みるきっず-   sacchyさん  hiroさん

sacchyさん(写真左)
東京都出身。ツアーコンダクターとして年200日以上を海外で過ごす生活を10年続ける。現在は休職中。チャイルドボディセラピストの資格をもつ。多摩市在住。

hiroさん(写真右)
東京都出身。通信業の会社に14年勤め、あらゆる職種を経験。幼稚園教諭資格をもつ。多摩市在住。

2007年8月、ニコニコママさん応援団サークル
MILK・IDS-みるきっず-」を一緒に立ち上げる。

 

みるきっずが主催したイベントのひとつ『おもちゃのサロン』。0歳から1歳になりたての赤ちゃんとママが19組集まり、講師からおもちゃの話を聞いたり、実際におもちゃを手にとって遊んだり。お菓子とお茶が供されるころには、ママ同士のおしゃべりにも花が咲き・・・。みるきっずのイベントは、他にもスリング講習会やリトミック、ヨガレッスン、ベビーマッサージ、骨盤リメイクエクササイズ、乳幼児のおやつづくり等…、どれも赤ちゃんと一緒に参加できる。そのバラエティ豊かなイベントの企画と運営を生後11ヵ月の赤ちゃんを抱っこしたママ2人でやっている。

2人の出会いは健康センターでの4ヵ月児健診。hiroさんが「以前お会いしたことありますよね」とsacchyさんに声をかけ、誕生日が1日違いのわが子たちをはさんで、sacchyさんが使っていたスリングのことで話が盛り上がり意気投合。さっそくスリング講習会へ一緒に参加した。「ベビーヨガ」もやってみたいと国立までお出かけ。でも続けるには、ちょっと遠いし、参加費も高い。そこで、ヨガの先生に多摩に来てもらおう、講師料を払うためには参加者を集めなきゃ!、会場を予約するには団体登録しなくちゃ!と、みるきっずを立ち上げることになったのが2007年8月。すぐにホームページを立ち上げ、翌月にはmixiをスタート。半年たった2008年2月現在、mixi登録は約230人、メールで情報を配信するメンバーは約200人。育児休業明けを4月に控えたママ達からの要望もあって、イベント開催日は2月から3月にかけて週2~3回のハイペースだ。

sacchyさんはぱっちりした目をイキイキさせて話す、エネルギッシュな、自称「突っ走るタイプ」。一方、hiroさんも活動的ではあるけれど、微笑みを浮かべながらおだやかに話す様子からすると、実は手綱を握る、さながら野球で言う「ピッチャーとキャッチャーの関係」?と、想像される。

自分達も赤ちゃんを抱えながら、こんなにも頑張れる原動力は参加者からの「楽しかった。ありがとう。また参加するね」と楽しそうに帰っていく姿だという。夢はみるきっずを長く続け、いずれは「親子が楽しくリラクッスして、癒される時間を提供できる」場所をもつこと。お茶を飲んだり、食事したり、その一画でイベントを開催したりできる、おしゃれなカフェのような・・・。

ママたちに親子の時間を楽しんで欲しい、ママ自身の趣味や特技を活かして欲しいというみるきっずの2人の思い。それは私達シーズネットワークが任意サークルとして団体を立ち上げた時の思いとかなり近いものでした。ママ達を応援する元気なママ2人を応援しています。


vol.7 2007.12.20発行

住まい方、暮らし方、もっと自由に。

NPO法人 コレクティブハウジング社
代表理事 狩野三枝さん

愛知県名古屋市生まれ。女性建築家を目指して名古屋工業大学へ進学。卒業後、設計事務所へ勤務。2000年、NPO法人コレクティブハウジング社設立と同時に参加。2006年より代表理事となる。

 

『コレクティブハウジング』-日本ではまだ馴染みの薄い言葉だが、簡単に言うと「独立した住戸以外に設けた共用部分(コモンスペース)を中心に、居住者が自分たちでコミュニティをつくっていく住まい・暮らし」のこと。普通のマンションと同様にプライバシーを確保した住戸の他に、広い広いリビングや本格的な厨房などを共有し、例えば、2~3人の当番が持ち回りで夕食を作って食べるなど、それぞれの心地よい距離感をうまく取りながら共存していく。

  狩野さんが代表を務めるNPOは、こんな住まい方・暮らし方を広めるだけでなく、具体的な賃貸コレクティブハウスの誕生に2件も関わり、マスコミからも注目を浴びている。見ず知らずの人たちが、ゼロからスタートしてこんなコミュニティを作り上げるには、しっかりとしたコーディネーターが必要。それが狩野さんたちなのだ。

  「この人とはちゃんと話ができる」、狩野さんと初めて会って10分も会話するとそう感じるに違いない。私の投げたクセ球やヘロヘロ球を、丁寧にキャッチして、気取りのない直球で慎重に正確に投げ返してくれる。こんな狩野さんの巧みなコーディネートで、居住者の人たちは話し合いを重ねながら、知らず知らずのうちにコミュニケーションの術を身につけていくのだろう。ハウスづくりの間、居住希望者同士の話し合いには時間をかけ、勿論、途中で止める人もいる。住み始めてから自分の生活スタイルと合わなくなって引っ越す人もいる。でも、それはそれで今までの過程に満足した上で、次の住まい方・暮らし方を探しに旅立っていくということなのだろう。そんな「賃貸」ならではの身軽さもメリットのひとつなのである。

  狩野さん自身は、小学生の頃、学校から帰ると、一人で家にいるよりは、家の前の道に座ってピアニカを吹いたりしている子どもだった。直接誰かと関わり合わなくても、ご近所さんたちの生活の気配を感じながら「柔らかく守られている」居心地の良い時間。そんな記憶が自分をコレクティブハウジングに引き付けたのかもしれない-と思っている。「子育て期の方たちにこそ、もっと住まい方・暮らし方に興味やこだわりを持ってほしい」と狩野さん。どんな住環境で育つかということが、人間形成の過程に大きな影響を及ぼすことは言わずもがな。血縁で結びつく家族ではない、ゆるやかで暖かい人間関係の中で、子どもを育てるということも考えてみてはどうだろう。

  現在、なんとこの多摩市で『(仮称)コレクティブハウス聖蹟』プロジェクトが進行中で、一緒につくっていく居住希望の参加者を募集中!狩野さんの温かい思いを受け止めた参加者たちが、この多摩に一体どんな『コレクティブハウス』をつくり、育てていくのか、ぜひ注目していきたい。

 

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